古い在来種の作物が呼び起こす記憶と認知症

万福寺大長人参(滝野川大長人参)

万福寺大長人参(滝野川大長人参)


昨年末、友達のお宅で忘年会をやったとき、うちの野菜と米を手土産に持って行った。

後日、友達がうちの米を炊いてお母さんと食べた。お母さんは高齢で認知症を発症している。もうお年ということもあって、普段、そんなにたくさん食べないお母さんが、
「このご飯はいつものと違うよ」
といって、茶碗に一杯のご飯を完食! 驚いた友達がメールで知らせてくれた。一緒に持っていった野菜のなかに、ニンジンの古い品種「万福寺大長人参(滝野川大長人参)」があった。長さが60センチほどにもなる長い人参で、江戸初期に日本に渡来した日本で最も古い系統の血を引く人参だ。

「昔は長い人参しかなかったのに、いつからか短いのばっかりになったのよねー」

人参を見たお母さんが若い頃を懐かしみながら、もりもりとフライにした人参を平らげたという。認知症の人は新しいことは覚えられないけれど、過去の記憶ははっきりしていると聞いたことがある。人参に関してお母さんはまさにそれだった。

古い在来種の作物には、ひょっとしたら、何かこう、過去の記憶を遡り、脳を刺激する力を秘めてるんじゃないか、なんてことを考えた。人によって違うかもしれないが、舌が覚えている味の記憶というのは、意外とはっきりしていることが多い。
うちは化学肥料を使わないで栽培しているので、昔ながらの味がきちんと人参に出たのかもしれない。それをお母さんが言葉で表現してくれたのだとしたら、なんてことを考えると、ひとつの感激が生まれ、大長人参を掘る苦労がすっ飛んだ。

さらに後日、持っていった根菜類を使ってお雑煮を作ったところ、
「野菜の味が出ておいしい」
と、汁も飲み干しつつ、茶碗に3杯も食べたという。この季節、冬の寒さにあたった根菜は確かに甘みがのって味わい深くなる。

さらに後日、お母さんがご飯をおかわりし、
「このご飯はふっくらぱりっとしてて内容がある」
との感想を。「内容ってなんだ?」と友達がツッコミを入れたそうだが、それはさておき、おかずにした切り干し大根(うちの大根を切って天日乾燥させたもの)もお代わりし、油で焼いただけの葱を口にして
「こんな甘くておいしい葱はふつうに売っていない」

葱は、昭和初期に生み出された関東地方の一本葱を代表する「石倉根深一本葱」を栽培している。やわらかさが売りのおいしい葱だ。今年は早くから寒さが厳しくなったので、甘みがよくのったのかもしれない。

お母さんは、体力の衰えから普段は少し歩くと息が上がってしまっていたそうだが、前よりよく食べるようになったことで、体力が少しずつ回復してきたらしく、さらに数日後、出かけたときに往復1kmほどの道のりを息が上がらないで歩いた! こんなことはものすごく久しぶりだと、友達から驚きの連絡がまた入った。近所の人からは
「お母さん、顔色が良くなったね」
と言われるそうだ。

ここまでくると、もはやうちの野菜がどうとか、そういうことを軽く超越して、食べるとは何なのかということを改めて考えさせられた。毎日の適切な食事の積み重ねが命につながり健康の貯金になる。食べ物の生産に携わる身として、忘れてはいけないことをお母さんに教えてもらったような気がした。

去年の7月から独立して農業を始め、直売所やスーパーに出荷しているけれど、食べた人から直接感想が来たのは初めてのことで、やはり「おいしい」と言ってもらえるのが一番うれしい。

今年から、少しまとまった面積の田んぼを借りられそうなので、お母さんの食欲を喜びとやる気に変えてにして、お米を本格的に販売したいと思っている。喜んでくれる人がいれば、夏のきつさも乗り越えられる。

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