モグラ塚とトキの絶滅、「わかっちゃいるけどやめられない」

一列に並んだモグラ塚

一列に並んだモグラ塚

畑に行くと土竜(もぐら)さんが地上に出てきたときの土竜塚がぼこぼこあいているときがある。

土竜塚はなぜかたいていひとつではなくて、同一直線上にいくつも並んでいることが多い。土竜さんの生きざまは知らないけれど、何匹もの土竜さんが同一直線上で姿を現すことはなさそうだから、一匹が何度も顔を出したのだろうか。

土竜がいるということは、土竜の餌となるミミズや虫がその畑にいるということだ。つまり、土竜がいない畑と比べると、生物相が豊かということになる。殺虫剤や殺菌剤、枯葉剤(いわゆる除草剤)を使い、作物以外のあらゆる生き物を畑から消し去り、人間にとって直接的かつ超短期的に有用と思われるもののみを残そうとする現代の多くの大規模な農業と違い、うちが目指しているのは、小さな畑のなかでなるべく多くの種類の生きものを育みつつ、その均衡のなかで作物を栽培する有機農業だ。

前者の農業では、土を豊かにする生き物の筆頭格とされる蚯蚓(みみず)君ですら、地下に穴を掘り作物の根を傷めることのある土竜さんを引き寄せるとして、嫌われることがある。
確かに土竜さんが地中を通過する際、植えたばかりの苗や芽を出したばかりの野菜がやられてしまうことはある。でも、それは全体からすれば一部にすぎない。そんなわずかな被害を食い止めるために生き物を消し去ろうとするよりも、いろいろな生き物がなるべく暮らしやすい環境を整えて、そのなかで作物を育てるほうが畑が賑やかで仕事をしていて楽しいし、「矛盾」がない。

作物を食害する生き物ばかりが増えてしまうと困るけれど、それは、栽培管理によって特定の生き物ばかりが増える環境を作り出してしまったせいではないだろうか。まあ、うちも意図せずにそうなってしまうことがまだまだあるので、あまり偉そうなことは言えないが…。
 
矛盾というのは、絶滅危惧種の問題と関係している。例えば日本で野生が絶滅したとされる朱鷺(とき)。その理由のひとつとして、農薬の使用によって朱鷺の餌となる生き物が減ったことが指摘されている。

朱鷺のような生き物が絶滅しそうになると、途端に騒ぎになる。でも、農薬を使い続けたり、農薬を使って栽培された作物を買い続ける(買って支える)ことは、第二、第三の朱鷺を生むことにつながる。農薬を使っているのに、またはそうした作物を買い続けているのに、絶滅しそうになって騒ぎ出すのは論理的に矛盾している。

ただ、人間はわかっちゃいるけどやめられない、そういう生き物だ。飲みすぎれば二日酔いになるのはわかっているけれど、盃を手にすると適量という言葉はかすんでしまう。それと同じだ(一緒にしたら叱られそうだ)
それに、うちだって米と野菜は農薬を使わないで自分たちで育てたものを食べているけれど、これら以外は外で買っている。無農薬栽培のものもあれば、そうでないものもある。だから、まだ矛盾から脱しきれていないわけだ。

ということで、まずは自分のなかの矛盾を少しずつ解消することから始めよう。自分はただの俗人なので、できることは限られている。だから、少しずつ、少しずつ。

土竜塚を見ると、畑の環境が良くなってきたのかな、という喜びを感じると同時に、「次は飲みすぎんなよ」と土竜さんに諫められているような気がして複雑だ…。「酒は飲んでも飲まれるな」、いや、飲まれなきゃ楽しくないでしょ、土竜さん。

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