有機農業で就農を決意するまでの経緯

有機農業での就農を決意したいきさつをまとめてみた。根っこにあるのは、カンボジアでの経験だから、就農の動機としてはたぶん異質だと思う。あまりほかの人の参考にはならない気がするけれど、「こんなやつもいるのか」くらいの気持ちで読んでもらい、何か、ひとつでもちょっとは役立ちそうなことがあれば嬉しい。

【幼少期】
東京のベッドタウンで生まれ育つ。近所に農地はなく、農業との直接的な接点はまったくない暮らしを送る。
ただ、自宅から自転車で20〜30分くらいのところにはまだわずかな田んぼが残っていて、そこでザリガニやカエルをつかまえたり、用水路でクチボソやフナを釣って遊んだりした原体験が少なからず今の考え方に影響していると思う。

【カンボジア時代(約6年間)】
大学卒業後、東京での数年の社会人生活を経て、2004年から2010年までの約6年間、カンボジアで暮らしていた。そこでの体験が、その後の人生の舵取りを大きく決定づけたと思う。

●生活の脂肪が落ちていく
日本で当たり前のように享受していたもの、なくては困ると思っていたもの(思わされていたもの)がないカンボジアでの暮らしを続けていくうちに、なくてもなんとかなる、日本のそれはないけどカンボジアにはこれがある、という考え方に変わり、本当に必要なものはさほど多くないということに気づく。生活の脂肪が落ちる。

●住めば都の思想
「住めば都」の思想を実感する。外の世界(例えば日本)と比べて、あれがない、これが足りないという比較をするのではなく、その土地ならではのものを生かしたり楽しんだりする考えが自分のなかに生まれる。どこでも生きていけそうだという妙な自信がつく。ただ、「住めば都」の思想も、都を起点とした考え方なのではないか、それじゃ都以外の土地の真価をはかれないのではないかとも考えるようになる。
物や金銭の数量だけで比較することを疑い始める。

●「足りている」という心と出会う
「発展途上国」と呼ばれる国の農村に出入りしながら、発展や経済について思いを巡らせる。日本などの外の世界からは「貧しい」とされる人々の暮らしをのぞいていくうちに、「分け与える」「助ける」「十分だ」「足りている」という言葉と出会う。
確かに所持する現金の量は日本人と比べると少ないが、経済的な視点のみの比較自体に大した意味はないし、人生を測る尺度はもっといろいろなものがあるはずで、一般化するようなものでもない。
「(給料や財産など)多ければ多いほうがいい」という思想のうろこが気持ちよく少しずつはがれ、人生で本質的に必要なものは何なのか考える。

●金は手段であって目的ではない
金は生きる手段に過ぎず、人生の目的じゃないから、金だけのために(残業等で)体を壊す人生は本末転倒だ。
欲望を縮めれば必要な金は少なくて済む。欲が社会を発展させてきたと考えてきたが、際限のない欲望が衝突を生み出している。「競争」と言えば聞こえはいいが、スタート地点の違う競争は敗者を生み続けるだけで、その結果、多くの命が失われている。
現金収入を増やすのではなく、支出を減らす(現状で「足りている」と捉えようとする)生き方がしっくりくる。足りないものは買うんじゃなくて自分で生み出せばいい。本当に必要なものはそんなにたくさんない。

大切なのは発展よりも循環や持続だと思いを改める。

●生きる力にふれる
自分たちで衣食住を切り開いていく農村の暮らしを見ていると、現金がなければほぼ何もできない自分の暮らしが情けなくなる。家すらも自分たちの力で建てる人々の生活から、人間が本来持っていた力強さや生きる力を感じる。
生きる力は机上で学ぶものではない。

●農の世界に興味を持つ
自然の恵みやその土地の資源を享受し、命の循環のなかで生きる人々の暮らしを知ったことをきっかけに、「貧しい」と言われる農民の生業「農」の世界に興味を持ち、資源が循環するなかで自ら食べ物を生み出すとはどんなことなのか、実践したくなる。それと同時に、実践せずに農民の暮らしを語ろうとする自分の姿勢に違和感を覚える。

【帰国後】
●資源の循環を実践
身近なところから始めよう、ということで、調理の際に出る野菜くず(「くず」と言ってはいけない、立派な資源だ)を土に還すことから始める。それと平行して、自宅の狭小な土地を活用し、猫の額ほどの「循環型無農薬家庭菜園」を始める。人間が食べなかった野菜の部位が少しずつ土に還るにつれて、固くしまった宅地の土が次第にやわらかくなっていくのを感じる。
そのすぐそばでは、見事に野菜が育つ! 発芽に感動し、双葉が開いて喜び、すくすくと成長する姿に惚れ、収穫で舌鼓をうつ。目の前で展開される小さな循環(完全には循環していないけど…)に感銘を受ける。

●市民農園を借りる
自宅から自転車で数分のところにある市民農園を借りる。12平方メートルの自分の畑ができる。
固定種の種を中心に、ホームセンターや農協で買った苗なども含め、多種多様な野菜や穀物を無農薬で育てる。畑の生き物たちが繰り広げる生のドラマに夢中になり、命を育む循環型農場を目の当たりにする。人間だけの都合で農薬をまき、生き物を殲滅させてはいけない。
自分で育てた野菜の、とれたての味に感激し、この味をほかの人にも伝えたくなる。今まで食べていたスーパーの野菜は一体、なんだったのだろうと疑問を感じ、少しずつ調べ始める。流通、鮮度、種、育て方、さまざまな問題を知る。
次第に、もっと大きな畑が欲しくなるが、農地法の規制にぶつかる。なんとかこの規制をクリアする方法はないか考える。

●援農ボランティアを開始
頭のなかで就農をゆるやかに意識しはじめる。会社員をやりながらでもできる就農準備として、自治体が募集していた援農ボランティアに応募、近所の農家の手伝いを始める。
使ったことのない農具を使わせてもらえ、わくわくするも、慣れない作業で体ががくがくになる。
農地を貸してもらえないかという下心もあったが、お手伝いの過程でいろいろ話を聞くうちに東京では非現実的な案だという理解に達する。

●将来の生き方として就農を決める
今までの経緯と、会社員としての生き方に限界を感じ、就農を決意する。1年ちょっと後の3月に退職する前提でちょっとずつ就農準備を始める。(退職の意思は表明していない)

●会社をクビになる
経営悪化から、いわゆるリストラにあう。いろいろ思うことはあったが、いずれ辞めるつもりだったので、前向きに捉え直す。
ただ、予定が1年早まったため、事態が急展開、現状に至る。

リストラされた方へのメッセージ