踏み込み温床から見る真の循環型農業と法、権利、慣習の裁き

踏み込み温床

踏み込み温床

踏み込み温床をハウス内ではなく、屋外に置いて苗を育てている人は、うちの畑の周辺では誰もいない。だから、露地の畑に踏み込み温床が並ぶうちの畑の景色は目立つこともあって、散歩している地元の人が懐かしそうな目や物珍しそうな表情で眺める。

畑をやったことのない人や世代にとって、あの稲わらで四角く囲まれたもの(温床枠)は作られている素材からして、なんとなく畑で使うものだろうと想像はついても、実際はなんなのかピンとこないかもしれない。

ただ、畑をやってきた先輩方は、みな
「あれは薩摩床か!?」
と口をそろえる。

この間、御年80代と思われる地元の人にも「あれは薩摩床かい!?」と尋ねられた。
薩摩床というのは、薩摩芋の苗を育てる育苗床のことだ。薩摩芋は種芋(食べる薩摩芋と基本的には同じ)を温床のなかに入れて芽を出し、出てきた芽を長さ20〜30センチくらいになるまで育ててから植えるのが教わったやり方だ。

「薩摩芋もやるつもりですけど、今はいろんな野菜の苗を育ててるんです」

といって、温床の中を見せたところ、昔を懐かしみながら話してくれた。

この辺りじゃみんな、薩摩床で薩摩つくってたんだよ。
おれが中学生くらいまでやってたな。
汚い話だけどな、昔は汲み取りだったろう。だから汲み取った大小便をかけて(発酵)熱を出してな、それで薩摩やったんだよ。
結構、難しくてな。熱が出すぎて(種)芋がくさっちまうこともあったよ。
薩摩は、デンプンとるやつでな、食ってもうまかねえんだ。

この辺り一帯では、養蚕が廃れてしまったあと、デンプン加工用の薩摩芋栽培が盛んだったようで、みな農協に出荷していたという。養蚕関連の施設があったところに、薩摩デンプン関係の施設が建ち、しばらく稼働していたようだけれど、今ではその姿はない。

それにしても、この辺りでは昔、踏み込み温床を作るのに、人間の大小便を使っていたということを初めて知った。

かつて、日本各地で人間の大小便を土に還す農業が当たり前のように行われていた。これこそ、本当の循環型農業だと思う。江戸時代には、栄養状態のいい人の大便は、そうでない人のものより高く取引されたほど、重宝されたものだったらしい。

農民作家と呼ばれる人たちの著作のなかで、東京の昔の農業について書かれたものを読んだことがある。そこには、戦後、昔からの肥料であった大小便が、野菜(著作のなかではレタスの話)を生で食べる習慣のある進駐軍の「指導」によって使用廃止となったことが描かれていた。

加熱調理して食べる食文化の世界では、大小便に含まれる菌類などは大きな問題にならなかったのかもしれないけれど、外からやってきた生で食べる人たちにとっては、たまらなかったのだろうか。
ただ、アメリカの事情は知らないが、ヨーロッパ世界でも長く人間の大小便が肥料として使われてきた歴史があることを考えると、単に生で食べることが原因だとは思えない。

うちの農場もウェブサイトで偉そうに
「土から生まれ、土に還る」
とかうたっているけれど、食べた後の排泄物は下水に流してしまうわけなので、土に還せていないものがたくさんある。「循環型農業」といっても、人間の大小便を活用している農業は、法律の問題もあって日本ではおそらくもう化石のような形態なのではないかと推測している。でも、自分に対する戒めも含めて書くと、出口と入り口が繋がった輪になっていなければ言葉の定義として循環とは言えない。

「法律の問題」と書いたが、法律によって人糞を肥料として使用することが禁止されているわけではなく、使用が規制されているだけで、一定の条件下で許されている。
「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の第17条に以下のように記されている。

(ふん尿の使用方法の制限)
第十七条
ふん尿は、環境省令で定める基準に適合した方法によるのでなければ、肥料として使用してはならない。

つまり、基準に適合していれば肥料として使えることになる。
その基準は、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律施行規則」の第13条に以下のように記されている。

(ふん尿の使用方法)
第十三条 法第十七条の規定により肥料としてふん尿を使用することができる場合は、市街的形態をなしている区域内にあつては次のとおりとし、その他の区域内にあつては生活環境に係る被害が生ずるおそれがない方法により使用するときとする。
一 発酵処理して使用するとき。
二 乾燥又は焼却して使用するとき。
三 化学処理して使用するとき。
四 尿のみを分離して使用するとき。
五 し尿処理施設又はこれに類する動物のふん尿処理施設により処理して使用するとき。
六 十分に覆土して使用するとき。

市街的形態をなしていない(街中ではない)ところでは、周りの迷惑にならない範囲なら、使っていいということなのだろう。

ただ、実際には、法で認められているとか、使用できる権利があるとか、そういう話ではなく、周囲が嫌がれば使うことはできないから、現実世界で使っている人はかなり限られてくるのだろう。法律で認められていても、できないことはたくさんある。法を破れば法に裁かれるが、法を守っても慣習の裁きを受けることがある。ここが難しいところだ。

「肥料科学」第35号に掲載された論文「農業に於ける下肥(ナイトソイル)の利用」(京都大学・滋賀県立大学名誉教授 久馬一剛)に興味深いことがいろいろ書いてある。そのうち、世界の偉人たちの言葉の表現がおもしろかったので、一部引用して終わりにする。

・動物および人間の排泄物には……種子,根,茎,葉等の形で 土地から取り去られたすべての成分が含まれる。 (ユストゥス・フォン・リービッヒ)

・科学は長い探求の後,およそ肥料中最も豊かな最も有効なの は人間から出る肥料であることを,今日認めている。 (ヴィクトル・ユーゴー)

論文の原文は以下。
http://www.hiryokagaku.or.jp/data_files/view/251/mode:inline

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