野草が教えてくれる大事なこと


ビニールマルチやトンネルを使わないうちのやり方だと、春先はいつも畑に野菜がほとんどなくなるので、食べられる野草を探しに近所をうろうろする。

あるある、食えるやつがわんさか出ている😋 これだから田舎は最高だ。食べられるものがそこらへんにあり、間違いなく旬で新鮮、さらにうまい😀

農業を始めたばかりのころは、栽培技術はないも同然、機械や道具類、出荷作業場などの仕事環境も整っていない、売り先も仲間にしがみついているという状態だから、何も自信の持てるものがなった。

さらに、自分のやっていることの意味や価値をうまく表現できないことも重なって、農薬と化学肥料を使わずに栽培してますとか、有機農業をやってますとか、やっていれば誰でも言える規格的なことしか伝えられなかった。

それが少しずつ表現できるようになってくると、規格っぽいことは自分の中で当たり前のこととして処理されるようになってきたからか、だんだんどうでもいいような気がしてきた。

うちの師匠が
「農薬や化学肥料の使用について聞かれれば『使っていない』と答えるけど、そうでなければあえて有機農業をしているとは言わない。百姓をやっていると答える」
というようなことを言っていたのを思い出す。背景や理由は違うかもしれないけど、なんとなく、そういうことなのかなと感じるようになってきた。

もっと大事なことがあるのだ。それを伝えることができなければ、地域の小さな有機農業なんて息詰まって窒息するだけだろう。
それを目の前の野草たちが教えてくれているような気がした。

「もっと土や、あんたの足元を見なよ。おれたちはあんたのこと、いっつも見てるけど、あんたはおれたちのこと見えてねえだろ?」

そうだよな、そこだよな。

でも、あんたたちを今晩のおかずにしちゃうけどな🍺👍

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