意識高い系と低い系の壁をどう崩すか

黄昏レモンの新芽

有機農業をしていると言うと、それだけで「意識高い系」に分類されがちだが、ガリガリ君と酒飲んだ後のカップラーメン、夏の草刈り後のコカ・コーラをこよなく愛するおれは意識低い系だ👍

ただ、有機農業をやる上で、環境のことは考えざるを得なくなる。田んぼや畑の周辺環境を無視して本来の有機農業を成り立たせることはできないからだ。おれたちがやっているのは、ただの無農薬栽培ではない。

印象的なできごとがあった。有機農法の意味を伝えるため、あるイベントをやったときのこと。終了後に届いたアンケートの感想に
「説教臭くなくてよかった」
という一言があった。

なんか、わかる気がした。

意識高い系は、現場から遠く離れた高いところで説教じみた物言いをしがちだ。だから、この参加者もきっとそうした空気を警戒していたのかもしれない。

ただ、初めからこのイベントでは
有機無農薬で安心安全!!
とかを叫ぶつもりはなかった。日本で有機農業という言葉が生まれて50年ほど経つが、日本の耕地面積における有機栽培の面積比は1%に満たないのが現状だということを踏まえれば、その理由は明らかだろう。

話を戻す。

スローガンより、有機農法とはどういう農法なのか、なぜ農薬を使わずに成り立つのか、またはその逆で一般に農薬が使われるのはどのような原因や背景があるのか、そうした話を問いかけながらしてみた。そうすることで、農薬使用の有無だけではない、有機農法の多様な表情を伝えられるのではないかという期待があった。

農薬を使わないことが重要というより、使わないで済むよう、自然に対して働きかけているひとつひとつの仕事に意味や価値があるのだ。そうした複数の要素が結果として安全に結びつき、意味を理解してもらうことで安心にもつながる。

「無農薬=安心安全論」が見落としているそういうことを伝えなければ、おれたちの仕事の意味は理解されない。理解されなければ、みどりの食料戦略のように政治的に数字が動かされるだけで、実態は1%に満たないまま、いつの間にか消えていきかねない。

地域の環境と共にある有機農法の意味を伝えるため、無農薬なんて結果に過ぎないことを言い続けていかなければならない。

ただ、最大の難関は意識高い系と低い系の間にそびえる高い壁だ。これをどう崩せばいいのだろうか…😱

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