農ある暮らし、手仕事の喜び


男衾復興会議(試行版)が終わった。
おれたちが伝えようとしているのは、農ある暮らしと、その背景にある人間らしい手仕事の喜びや楽しさだ。その喜びや楽しさと苦労や困難が表裏一体であることも表現したい。

簡単ではなく、失敗も多々あり、うまくいかないこともあるけど、だからこそ自分なりに考え、試行錯誤し、できるようになったときの喜びがある。享楽的な薄い楽しさを喧伝したいわけではない。

試行版では、農ある暮らしや手仕事の喜びに芯を据えつつ、地域の人をゲストに招いて、その人が何を考えてどう生きてきたか、何を大切にしていて、その理由は何か、そういう話を聞いてみようということになった。
地域に根差した小さなラジオ局のようなイメージだ。

その人から深いものを引き出すのは難しい。対象自身のことはもちろんのこと、その人がやっていること、その土台となる地域の風土や慣習、時代背景なども知っていなければ、突っ込んだ話はできない。中身のない薄いおしゃべりを形にして第三者に伝えようとしても、興味を持つ人はいない。

溢れ、飽和している情報のなかで、無名のおれたちが何かを伝えようとするなら、たったひとつでいいから、どっしりとした芯を表現しなければ埋没して終わる。

ただ、実際にやってみて、男衾(おぶすま)という全国的にはほとんど知られていない地域で、無名のおれたちが眠っている人から話を掘り起こすように聞き出し、それをまとめていくという作業は、箱もの整備に終始しがちな地域振興とは違った響きがあり、微細な可能性を生むかもしれない妙な期待がある。

そんなことは抜きにしても、自分の暮らしている地域にこんな人がいるのか、というのを探し出す楽しさもある。

次回に向けて男衾の氏とまた相談しよう👍

それにしても、おれが興味を持つのは、いつもカネにならない話だな😅 カネ儲けも必要だけど、正直あんま興味ねえんだよな。

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