眼差しが変わると価値も変わる


よりい週末有機農業塾の参加者のみなさんが、Xさんの自宅裏にある竹林の竹を切り出し、支柱を作りに行くことになったという。

竹林は荒れて、手に負えなくなり、ご両親が困っているらしい。そこに、金銭中心主義から眼差しを変えたXさんが帰ってきて、仲間たちに切り出しと支柱づくりを提案した。その様子を別の参加者の方が投稿している。

何でもカネで価値を図ろうとする資本主義的価値観からすると、荒れた竹林は無価値だ。そればかりか、自分で間伐したり、それを活用したりする行為の価値は、買わせたい、売りたい側が主張する「買ったほうが安い」で否定されてしまう。

そこで、Xさんのように、荒れた竹林に対する眼差しを変えてみる。

投稿によると、その時間には学び、ふれあい、交流があり、仲間とともに心地よい汗をかく時間にもなった。

買ったほうが安いという考えは、これらの時間分、働いて得た時給換算額のほうが支柱の市場価格より高いから、金銭的には買ったほうが(短期的に)得だという計算に立脚する。

では、学んだり触れ合ったりした時間はいくらなのか?
仲間とともに過ごした心地よい時間は何円なのか?

そういうことに眼差しを向けられるような人たちと、これからも日曜日の午前を過ごしていきたい。

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