便利の代償と、不便の幸せ
クソ暑い日々が続き、日中は35度超えが常態化、夜はもれなく熱帯夜であるが、うちはエアコンを使わない。エネルギーを多用し、自分の家の中だけ涼しくして外に室外機経由で熱風を排出し続けておいて、
「SDGsだよね!」
などと言うのがアホくさいからだ。
夜になってもクソ暑いので、庭に出てみた。空気が動いていて、結構涼しい。日曜大工で作った外用の椅子に腰掛けながら、コーラ味のガリを頬張る。エアコンなぞなくても快適だ。
カンボジアにいた頃、世話になっていた家では、夕食後、よく庭先で夕涼みをしていた。熱帯モンスーン気候のもとでも、エアコンなんてなくたって、外に出れば暑くなかったし、ダラダラ酒をのんだり、他愛もないおしゃべりをしたりして過ごす時間もまた、いいものだった。
エアコン(それはカネで買うもの)がなかったがゆえに、工夫して過ごしてきたとも言えるし、なかったから成立した団欒の時間だったのかもしれない。
言い換えれば、カネは工夫を放棄させるし、目前の課題(暑さ)を一時的に解決(エアコンで涼しく)させたかのような感覚に陥らせる、でも、根本は何もかわっていないどころか、むしろ悪化している場合の方が多い。
「便利」だと錯覚していたものを、一人ひとりが少し手放せば、多くの課題は解決に近づき、人生はぐっと鮮やかになると思う。「便利」には代償があり、「不便」には幸せがあることを、どれだけの人が気づいているだろう。
「不便」と見なされたものには、「便利」が内包しきれなかった時間のゆとり(=人生のゆとり)があることに、どれだけの人が目を向けているだろう、
このガリだって、多大なエネルギーを投入して生産されているのだから、持続可能なのかどうか、悩ましいところだ。
そんなことを考えていたら、ガリが当たった!
もう一本、持続可能?!🤔
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