餅つきと人生で大切なもの


日曜日はよりい週末有機農業塾。今日は塾生の実家にお邪魔して、実家のご家族や遊びに来ていた親戚の方も交えて、餅つきをした。


餅と一緒に食べるあんこ、三種の芋餡、大根おろしなどは手作り。そこに買ってきた納豆や自家製野菜たっぷりの味噌味の汁も添え、搗きたての真に贅沢な味を皆で味わった。

燃料は裏山から切り出した竹を使う。
米は来年、自分たちで田んぼを作る計画がある。
野菜は失敗しつつも育てられるようになってきた。
大豆は今年、たくさん取れた。
育てた米と大豆で2月には味噌を仕込む。

「今日、自給できたものって何だろう?」

そんな言葉が自然と出てくる。みんな、今まで当たり前のように買っていたものばかりだ。

話す内容も、みな何かに向き合い続けたことで紡ぎ出されるものが多く(ま、おれがそういう話好きなせいもあるけど汗)、それが笑いを交えて冬空に響くさまが気持ちいい。

なかでも印象的だったのは、都市的に生きてきた20代の若者が、生きていくのに本当に必要なものは何なのか考え抜き、奥底に沈殿した澱を少しずつすくい上げるようにして、自らの生き方を回復させていった話だった。

そういう視点に立ち、考える人たちと今日という時間を過ごせたことが、何よりもありがたく、嬉しいことだった。

現金収入を増やすのを求め続ける人生だったら、この麗しい時間は生まれることはなかっただろう。

餅は買ってきたほうが安い
餅を搗く時間は非効率だ
レンチンで早く食べられる

それは本当だろうか?
安いとは何なのか、効率を求めるのは何故なのか、何でも早く済ませることに一体、どんな意味があるというのか。

限りある人生の時間を、誰と、どこで、どのように過ごすのか、その大切さを改めて教わっている気がする。

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