大根の種をまく季節になった。
昔から「大根十耕」といって、十分、土を耕してから大根の種をまくと、よく太ったいい大根が育つとされる。
ふぅーん、そうなんだ、昔の人の知恵はすごいなぁ~
種をまく前に、よく耕してみる。
土の中に空気が入るので、空気を好む微生物の活動が高まり、根とか枯れた葉とかが分解される。
分解は、微生物が酸素を吸って二酸化炭素を排出することだから、よく耕せば耕すほど、排出される二酸化炭素は増える。機械を使って耕せばその分、増える。
新たに芽吹く大根が、その分を吸収するか考えてみるが、すぐに答えが出るものではない。
よく耕せば耕すほど、土中の生き物は死ぬものも出てくる。屍は分解されるから、前述の道をたどる。
気候変動を加速させる一因かも?と考える。
よく耕すと、大雨や強風による土壌侵食の原因になる。
土壌侵食は、河川や海の汚染にもつながる。
水の生き物たちが苦しみ、水産物の水揚げに影響するおそれがある。
その結果、遠い海の先で、生活が厳しくなる人たちが出てくるかもしれない。
土壌侵食は、古代文明を崩壊させた引き金と考えられているから、耕し続ければ我々の暮らしも危ないだろう。
気候変動は貧困を加速化させると識者は指摘する。貧困は犯罪やテロの温床となることは、論を俟たない。
「大根十耕」がテロを生むだなんて論理の飛躍だと思われるかもしれないが、風が吹いたら桶屋が儲かるのだから、意識しておくべき視点ではないか。
せめて、トラクター(燃料は石油)を使わず、手で浅く耕し、大根の種をまいて、近くに土を覆う被覆植物の種をまいた。
被覆植物が根をはることで、土壌流出を防ぎ、大根と協力して少しは二酸化炭素を吸収してくれるはずだと信じ、自分を慰めた。
自分の利益しか考えない結果、遠くの見えない人たちが大きな影響を受ける、そういうことが現代は多すぎる。
全部は考えられないと放棄するのではなく、考えようとする姿勢を崩さず、他者に及ぼす負の影響を少しでも減らしたい。
元首相の福田康夫さんが、戦争を回避するのに大切なのは想像力だ、というようなことを言っていた。
ハッキリ言って、何も考えないでいられたら楽だ。でも、もう考え始めてしまった以上、見えてきたことを放置したくないし、今やっていることの先がどうなるのか、それを想像するのは簡単ではないが、諦めたくもない。
大切なのは、想像し、考えようとすることだ。
さて、雨がやんだら、大根の種まきの続きをやろう。
手で耕すのはまったく楽ではないので、人に勧めはしないが、自分が納得できるやり方を追い求めたい。
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「大根十耕」という先人の深い知恵を否定するのもではなく、時代と状況が大きく変わった今、何も考えず同じままでいいのかという問いかけである。
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