田んぼ教室4回目 想像と創造をつなげる籾ふり

【この日の内容】

①籾ふり(稲の種まき)
②苗代の調整
③鳥よけの紐張り


【みんなで考えるこの日の小ネタ】
有機農業は共生か!?

今日は有機家庭田んぼ教室の4日目。早いものでもう籾ふり(稲の種まき)を迎えた。稲の苗を育てる場所となる苗代をつくり、そこに選別した種籾をパラパラを播いていく。

苗半作という言葉がある。苗づくり(本当は苗は作れないよ!)が作物栽培の半分を占める、つまり健康な苗が育てば、田畑に植えたあともすっとしっかり育つから、苗づくりには細心の注意を払いなさいという先人の教えである。その意味で、苗代づくりと籾ふりは一番重要な作業と言えるかもしれない

籾ふりが終わり、発芽するまで種もみが乾きにくくするために赤土で覆土をした後、鳥よけの水糸張りをする。どんな仕事や作業も言われた通りにやると、できるようになった気がするが、実際にやってみると「あれ?」ということがよくあるから、水糸張りは使う道具と張る幅だけ説明して、あとはみんなでああだこうだ考え、試行錯誤しながらやってもらった。

想像と創造の乖離をつなぎ合わせる試み


失敗したり、なかなかうまくできないこともあるだろうけれど、何かをつくるとき、自分で想像と創造を働かせてやってみることがおもしろく、その働きが次に活きるものだ。手取り足取り教えてもらったほうが、短時間で効率よく進むが、それでは自分でできる人たちは育たない。

現場で自分で考えて実際にやってみたときの想像と、それによって生まれる創造が、自分たちの命を支える源と生活の接点の乖離を、もう一度、つなぐのではないだろうかと思う。

ここでいう乖離とは、こういうことだ。

今年は、昨秋からずっとまとまった量の雨が降らないため、沼(ため池)の水がかなり少なく、籾ふりのときも水を大切に、無駄がないように使っている。水道の蛇口をひねればいつでも水が出る時代に、命の源である雨の少なさを気にかける人は、たぶんほとんどいなくなった。蛇口とダムがつながっていることは、頭では分かっているつもりだが、ダムの水が減るにつれて蛇口から出る水量が徐々に減るわけではないので、敢えて言葉にするならば、

「どこかで、誰かがなんとかしてくれるのだろう」

で終わってしまう。自分でダムを作ったわけじゃないし、ダムから水を引いてきたわけでもない。蛇口の取り付けもやっていない。だから、その水がどうやって溜まり、自分のところにたどり着いているのか、そのありがたみ(ありがたいは「有り難い」、有ることが難しいと書く)が感覚として深く刻み込むように理解できない。それは実体験が不足し、知識ばかりが積み重なっているからだ。

各家庭が庭先に自分で小さなダムを掘り、それと自分の家の水道をつなげる工事を自分でやっていたら、ダムを掘る苦労、水道とつなげる難しさなどが芯から分かるし、日に日に減っていく水量を目前にするから、水に対する意識や考え方は一変するはずであるが、そのダムは遠くの山奥にあって映像でたまに見る機会があるだけ。水は蛇口から出るものであって、ダムにたまったものではないという感覚が、ここでいう乖離である。

こうした乖離があらゆる分野にわたってのさばっている。令和の米騒動なんて、その典型例ではないだろうか。

自分でダムを掘れと言いたいわけではない。入口(生産活動)と出口(消費行動)の間が途切れて、生産が正当に評価されなくなってしまうと、本当に困るのは消費側だということである。話は単純で、消費側は自分で生産できないから。生産してもらわなければ消費できないのに、生産の価値や意味がきちんと評価されなければ、生産は当然のことながら消えていく。

だって、やってられないじゃん。バカバカしくて

生産されなければ、そのもの自体がないから、いくら金を払おうが手に入らない。そういうシンプルな話である。


今日、やったことは籾ふりなのだが、それは何かと言えば、切り離されてしまったものを想像と創造でつなぎ合わせようとする試みでもあるわけ。

ではまた、次回。

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