上下の沼のつまりと現場仕事の厚み

ミニトマト・ボルゲーゼの苗を植えていたら電話が鳴った。水利組合長からだった。

「上の沼と下の沼の詰まりなんだけど、今、取れてつながったから」

まじですか!? 思わず興奮して大声を出してしまう。去年の夏以降、まとまった雨がほとんど降らなかったため、田んぼの水源である沼の水が枯渇しそうな状態が続いていた。根岸入池は、ふだん使う下の沼の水がなくなった場合、補助水源として接続されている上の沼の水の栓を抜けば下の沼に水が移るような設計になっているのだが、何年もの間、上の沼の周囲から落ちてくる落ち葉がつもり、それが栓を詰まらせていた。

つまりが解消されて上の水が下に移り始めたことで、下の水が溢れそうになっているから、田んぼに少しでも水を入れたほうがいい。今年は水が少なくて貴重だから。そんな話だった。

ボルゲーゼの残りを植え終え、水を入れる準備をして、なっちゃんに連絡してから田んぼと沼へ向かう。

農地も人間の体も機械や道具も、手入れを怠ればすぐに不具合が生じる。この谷津沼を活用した水田耕作も、かろうじて耕作者が三人残っているから水利組合が維持され、共同で沼のまわりの草刈りなどが行われてきた。ただ、その水利組合員の圧倒的多数は高齢者でもう耕作はしていない。田んぼを作っている3人も同様に高齢で、一人は80代、残りの二人は60代くらい。だから、もう時間の問題で、よくなっちゃんと「終わりのはじまり」という話を苦笑いしながらしているが、この谷津沼もすでに崩壊は始まっていると言ってもいい状況だった。

そこにおれ(40代後半、ほぼ50)となっちゃん(30代前半)が新しく加わったという図になっている。

谷津沼につくと、作業をしてくれた設備屋さんの姿があった。水の栓を外して水路に水を入れてからお礼のあいさつをする。どっしり、ずんぐりした体形で、おれのと比べると倍くらいの厚みのある手が、さまざまな現場を支えてきたことを淡々と言葉なく静かに物語っていた。

米の自給などといっても、この沼の水がなければおれたちは田んぼを作れない。「農家さん、ありがとう」なんて言われる世界だが、その農家さんの仕事を陰で支える現場仕事があって、初めて日本の農業は二本の脚で立つことができるのだ。農水省のおかげでもなければ、かき集めてきた事例発表に終始する農業コンサルの仕事が功を奏したからでもない。自立すらできない薄っぺらい世の中が無思考に嫌う「不法移民」も、その一翼を担っていることは明記しておきたい。

さて、沼の話に戻る。上の沼の水位が減り、底のほうが見え始めてきた。周辺の山から落ちて長年、堆積した落ち葉が、一面にぬんめりと姿を現す。還元状態のなかで嫌気性の微生物が長い時間をかけて少しずつ分解しているため、黒っぽくヘドロのように変色していて、おそらく見えない下の方はドロドロだろう。水をたたえていたとき、沼の表情はどことなく穏やかであったが、それが何となくおどろおどろしい風景に変わった。もののけの世界とはこういうものか。それは自然から離れ、科学を唯一の信仰とする世界で長く生きてきたおれにも、自然を畏怖する感覚がまだ残っていることを感じさせた。

農業大学校の授業を終え、後から来たなっちゃんが設備屋さんから聞いたところによると、この沼は設備屋さんの祖父の代がつくった。大正時代のことだ。その時の写真を地元の役場に持っていったらいらないと言われたので、滑川の役場に持っていったら「貴重な資料だ」といって受け取ってくれたという。何に価値を見出すのか、その視点がいつの時代も問われている。

水を入れ、やりたくてもできなかった畔塗りの準備として、畔に沿って水が回るように溝を掘る。設備屋さんの手の厚みと現場仕事の深い価値をかみしめ、水を得たことで田を作れる喜びを再認識しながら。

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