台風6号(チャンミー)が来ることになった。小沼の水が尽きそうだったので久しぶりのまとまった雨は心底ありがたい。水が尽きたらせっかく育てた苗も植えられない。日本農業遺産に認定された谷津沼水田稲作システムを復活させるというと、カッコいい地域おこし話に聞こえるかもしれないが、20年以上まともに手入れされてこなかった谷津沼を整備し、田んぼを作り直して元に戻すというのは並大抵のことではないことを実感している。
沼には膨大な量の落ち葉や木の枝等がつもり、沼の貯水量を圧迫しているし、内部の土手は灌木が生えていて、こまめに刈らないとアッという間に沼を覆い隠しそうだ。水量が最も少なくなったときに開ける最後の水栓ハンドルは、さびついて使えない。長い間、水の入ることがなかった田んぼは、土中の構造が畑のように変化してしまったため、水がかなり抜けやすい。沼の水が少ない中、これは致命的である。

田んぼ教室用となっちゃんが使う苗を育てるために作った、広さは畳二枚分もない小さな苗代は、耕作放棄された期間の長さに耐えきれなかったのか、代かきが不十分だったことも重なって水の抜けが早く、沼の水はどんどん減っていく。この先の代かきや田植えが果たして本当にできるのか、心配でならなかった。田んぼ教室の田んぼは優先しなければならないから、場合によっては、自分が作る予定だった田んぼを一枚減らすか、陸稲状態で育てることも検討し始めていた。
そんな状態での台風到来である。
近年はまったく雨が降らないと思ったら、災害級の大雨に襲われることが各地で続いているから、台風によるまとまった降雨がもたらされるといっても、簡単には喜べない。ただ、夕立のような量の雨が降らなければ、ため池の水が回復することはなく、水が絶えれば当然のことながら喜べないわけである。五風十雨というように、10日に一度くらい雨が降れば、豊かな稔りがもたらされ農耕の喜びや幸せを感じられるものだが、もはや普通が普通ではない状況が長く続いている。異常気象が普通なのだ。カンボジアにいた頃、普通とは何かを問うために「トーマダー(普通の意)」という名の冊子を発行していたが、帰国して農業に携わるようになった今も、その問いから逃れられない。
ウェザーニュース(2026年6月3日午前4時43分)によると、3日の4時半頃、台風の中心部が和歌山県南部に上陸した。1951年からの統計史上、4番目に早い日本列島上陸だという。これもまた「普通」ではない
「いい学校を出ていい会社に入る」という普通を追い求めていけば、誰もが幸せになれるという時代を生きてきた。しかし、「いい会社」とは対極にある経営不安定な会社で働いたり、無職単身でカンボジアに渡ったり、農家の生まれでもないのに独立して農業を始めたりと、普通が手に入る生き方ではなかった。いや、手に入れようとはしなかったといったほうが正確かもしれない。なぜなら、幼少のころから普通になることを求められ続けたがゆえ、自分というものが消失しかけ、一体、自分は誰なのかという問答と向き合うことになったからだった。
精神を病んでいた訳ではないが、自分探しなどという悠長なものでもなかった。誰かと接し、何かに触れ、どこかに行く度、「アンタ、誰?」と投げつけられる。「いい会社」に就職した同級生たちは、自分と巨大資本の組織を同一視することで、その問いから逃れていたが、おれは答えを返すことができない年月が長く続き、いつの間にか35年も堆積していた。そしてやっと、ひとつの明かりを獲得できたような気がしている。おれは農民なのだ。
昨夜から降り出した雨は、夜が明けた今、けっこう降ってるなという量の雨で、天気予報によれば1時間あたり約15ミリの雨が15時くらいまで降り続くことになっている。田んぼの周辺が災害等につながることはなさそうだが、沼の水量がどの程度回復するかが気になってしかがない。それはおれが農民だからだ。

