里山自伐型自給農林業、始めるよ

自分で間伐した檜を材にし、鉈を使って踏み込み温床用の杭を作った。

毎年、温床を作るとき、藁や竹、落ち葉などは地域の資源を活用できていたのに、杭だけはずっと市販のものを買って使ってきたのがモヤモヤしていた。その小さくて大きなモヤがやっと晴れた。

まだ杭と薪を自給できるだけに過ぎないが、自分で木を伐採し、自分で使う、農と林を組み合わせた里山自伐型自給農林業、長えネーミングだけど、ま、平たくいえば昔ながらの農業だよね(笑)、それになんか大きな可能性と未来を感じ始めている。

里山保全って、やっぱ、まずは活用(具体的な行動)からだよね。

『自然生態修復工学入門』、『これならできる山づくり』、『里地里山文化論』、この三冊を読みながら、山で実践中。

【続】豊かさとは何か 仮説①-1

先ほど豊かさについて、仮説①を立てたが、頭の弱いおれに②は思い浮かばないから、①をもう少し掘り下げてみたい。

仮説①において。物心ともに満ち足りている、これで充分だと思える心境だと定義した。では物心のうちの物は、どんなものでもそれなりの量があって充分だと思えれば、豊かなのだろうか?

例えば、お金がたくさんあって、必要なものは何でも買えて揃ったとしても、それで心も満たされるのだろうか。この問題を考えるにあたり、心についても触れておきたい。

まず、人間は一人では生きられないという意味において、他者との関係性が重要になる。自分以外の誰かAと心が満たされる関係を築けるか、ということである。

その関係性の中で、例えばAが生み出した物が、自分の暮らしに少しでも取り入れられ、その比率が次第に高まっていくような生き方が、豊かさを感じさせるのではないだろうか。

これをイー説と呼びたい🤭

具体例をあげよう。

今日の昼、先に書いたとおり、大根のカレーを作って食べた。その大根はスーパーで買ってきたものではなく、他者Aが汗をかいて生み出したものである。食べ物なくして人は命を紡ぎ得ないから、大根(食べ物)を人に分け与えるということは、相手の命(その延長に人生がある)を想うことである。

お世話になっている方が、汗をかきながら、おれの命と人生を気にかけてくれる。なんとも心がけ満ちるひとときではないか。そして、具体的な大根という物ももたらされる。この状態をイー説(仮説だよ🤭)では、豊かであると定義するのである。

さて、みなさんにとっての豊かさって、なーんだ?

(なぞなぞ風)

豊かさって何だろう、その仮説①

お世話になっている方から頂いた大根、自分で育てた唐辛子、にんにく、生姜を材料に、間伐した竹、山で拾ってきた枝、杉の葉なんかを燃料にして、庭先で青空のもと、大根カレーを作りながら、豊かさって何だろうかと考えている。

その答えはまだ仮説でおぼろげだが、物心両面で満ち足りている、これで充分だと感じられる心境ではないかと考え始めている。だから、たとえお金がたくさんあっても、精神的な不満(不満とは満ちていないこと)があったり、もっと欲しい(つまり満たされていない)と思ったりしているのであれば、この仮説によると豊かではないことになる。

貧しさに耐えろとか、清貧の思想をゴリ押ししたいとか、そういうことではない。自分の現状をどう捉えるか、という話である。

そんなこと考えてたら、カレーができた🤩

モーレツにうまい😋

豊かさって、何だろう🤔

仮説①って見出しにしたけど、頭弱いから②は思い浮かばん🥹

へ理屈抜きのプチ環境論

日曜日はよりい週末有機農業塾。最近、投稿してなかったけど、ずっと地味に続けてるよ😀

日曜日はよりい週末有機農業塾。今日は里山で落ち葉掃きをする事前準備の下草刈りをする。倒木や枯れ落ちた木の枝などをどかしながら、鎌で篠竹や笹を黙々と刈り、まとめては谷へ下ろす、という作業を続けること、およそ2時間半。

荒れて日当たりが悪くなり、林床が暗かったところに日差しが届き、明るい森になった🤩

林床が明るくなると、日差しを好むさまざまな植物が生えてきて、里山の植生が豊かになる。すると、餌が生まれるので、それに連れて昆虫や鳥類などの種類も増える。人間が手を加えることが自然破壊なのではなく、手入れをすることで蘇るという自然観がここにある。こうして、里山の環境は守られてきたのだ。

が、ここまでは、へ理屈である🤭

昔の人達は、こうしたことを、環境を守るためにやってきたのではなく、自分たちがそこで生きるためにやってきた。山を多様にするために下草を刈っていたのではなく、田畑の土に還して肥やしたり、家畜の餌にしたり、薪炭林の手入れをしやすいように下草を刈ってきたのだ。

それが結果として、里山の環境を守ることに繋がった。つまり、その生き方自体が環境保護になっていたと言える。

一方、学問も技術も発達した現代は、おれのようにへ理屈ばかりこねる頭でっかち君ばかりになり、環境保護のためにどうすればいいのか、みたいなヘンチクリンな話になってしまった。そんなことは、目の前のこととひたむきに向き合っていれば、考えなくても必然的に答えが出たのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう🤔

机の上だけで環境論や里山保護を唱えても、何も変わりはしない。もう一度、生き方それ自体が自然と調和するような方向を目指していきたいと改めて思った日曜日だった。

お金を浪費しない米麴づくり

もはや恒例となった素材から自家製の米麹づくりが始まった。10年前、満員電車に揺られ、もやもやする余裕すらない会社員生活をしていた頃からすると、大げさに言えば隔世の感がある。

蒸米を作るため、拾ってきた枯竹を燃やして湯を沸かす。竹は勢いよく燃えることもあり、大量の湯が短い時間で沸く。これをガスでやったら、だいぶ時間がかかり、ガス代も悲惨なことになり、いったい、米麹を作ってるのか、エネルギーと金銭を浪費しているのか、わかんなくなりそうだ(泣)

枯れた竹を拾ってくれば、山がきれいになって、林床が明るくなり、また別の食べられるものが生えてくるかもしれない。

他者と競合しない、のらり、くらりな生き方

生きていくってどういうことだろうか、あれこれ考えてたら、他の生き物と同じように、生きるのに必要なもの(衣食住ね)を自分で探し当てたり、生み出したりすることなんじゃないか、という一つの答えにたどり着いた。

そんでさ、なるべく食べ物を自給したり、自分で出荷作業小屋を建てたりしてきてさ、ここ2~3年は身近な環境で燃料(暖房や煮炊きなど)をどう手に入れ、活用するか少しずつ実践してきた。

最近は、薪ストーブの燃料(薪)をいかにして安定的に確保するか、あれこれ頭を悩ませた結果、7500平方メートルと2ヘクタールの里山を使わせてもらえることになった。

7500平方メートルのほうは、畑で使う落ち葉掃きをやらせてもらいたくてお願いした。

「落ち葉はいとくと、白しめじっていうウマいきのこが取れるがな(地主談)」

落ち葉も手に入り、ついでにウマいキノコまで取れ、間伐もしていいっていうから広葉樹の薪も手に入って最高じゃないか❗ ま、キノコは見分けられたらだけどね(汗)

2ヘクタールのほうは、おもにヒノキが生えている。針葉樹も使える薪ストーブだから、こちらも燃料にできるし、ヒノキという高級な木材が手に入るわけだ。もう一つか2つ、小屋を建てたいんだけど、そのとき、この山で木材が切り出せるとは、なんとスバラシイ。棚とかも作れちゃうよね、やる気があれば。

里山って世間で注目されてきたように見えるかもしんないけど、実際は口先ばかりで手入れをやりたがる人はほとんどいないから、競合ゼロ、タダで取り放題である。エネルギー価格が上がると右往左往しがちだけど、目の前の木は値上がりしないし、為替の影響も受けないから、そーゆーのにもあまり揺さぶられなくなる。

さらに、競合がほとんどないということは、焦ったり、つまらない駆け引きしたり、自分をよく見せようとしたりする必要はないから、のらり、くらりとやっていける。

山仕事は気持ちよく体動かして、ご飯はウマいし、運動不足にもならない。

はぁーん、もうこれ以上、言うことないがな。

(写真は他者と競合するカップラーメン🤭

自分で刈って使う篠竹の価格は上がらない

月曜日は山の手入れの日。男衾に有機稲作の里をつくるためには、田んぼの水源となる谷津沼周辺の山がいきいきと保水力をたもつ必要があるということで、毎週、月曜日に山の手入れを始めた。

今日は10代の若者と、隣の地区で新規就農した水辺の生き物好きの二人が手伝ってくれた🤩 生き物とか、山とか、カエルの味🤭とか、カラスを食べた感想とか、そういう生きた話をしながら、また夢中になって谷津沼の周りに密生した篠竹を刈り続けた。

気持ちいい時間だった。

刈った篠竹のうち、太いものは野菜の支柱として使うことにした。葉を落とし、長さを大まかに揃えると、立派な材に変わる。自分が手をかけると形になり、活用でき、暮らしがまた一つ、地域にあるもので成り立つようになる。こういう視点に立つと、物事の見方が大きく変わる。

農業も支柱を含むさまざまな資材は高騰しているが、自分で刈る篠竹の値段は上がらない。それどころか、タダで取り放題である🤭 刈れば風景がよみがえり、また別の恵みももたらしてくれる。

山の地主さんによれば、下草刈って落ち葉を掃けば、金木犀の花が咲く頃に白しめじっていうウマい🤩キノコが採れるってさ。これもまた、恵みだよね。

思わず、キノコ採集ハンドブックとか借りてきちゃったよ、図書館で🤭

下手クソでもやればできるよね

またひとつ、小さな挑戦を始めている。

男衾(だけじゃないけどね)にわんさかあって、その凄まじい繁殖力のせいで邪魔者扱いされている竹のさらなる活用である。

農業を始めてから、荒れ地再生炭焼きプロジェクトなどとそれっぽい銘を打ち、荒廃竹林の竹を使って炭焼きしてきたが、もっと何か活用できるんじゃないかと考えてきた。何しろ昔の人達は、竹を有用な資源として暮らしの中に巧みに取り組んできたのだから。

んじゃ、なんでおれは炭焼きしかできないのかと考えたら、答えはまったく単純で、買ったほうが安くて便利という消費生活に沈没して、自分でやるという選択肢が窒息してしまい、できない(=形にする技術がない泣)、それだけのことだった…。

んじゃ、下手クソでも何でもいいから、やってみりゃいいじやん、ということで、一昨年、竹を切り出して、庭先の小屋の壁を竹で張り直してみた。(写真)

で、時間はかかったが、それなりに満足できた👍

別に売るわけじゃねえし、自分で使えればいいんだから、高品質である必要はない。細かいこと気にしなきゃ、素人だってやればまあまあできるよね。

んじゃ、次は? といこうことで、刈った稲を天日で干すはんで棒(稲架掛け棒)の置き場を作ってみることにした。何日か前に、「設計するぞ」という見出しで投稿したあれである。

それも、まあまあ時間がかかったが、その時間は手間とかそういうのじゃなくって、ものづくりが楽しめるいい時間で、だいぶ形になってきた。(写真見てね②✨

こうなってくると、モーレツに盛り上がってくる。何しろ身近なところで材がわんさかタダで手に入るのだ。切り出し、材を作るところから自分でできる、これぞDIY。さらに切り出すときれいになったと喜ばれ、お茶とかもらえちゃう。

それに、最初は下手くそだが、やり始めると少しずつできるようになるなってくるから、次は何を作ろうかなと、可能性が拓けてくる。

はんで棒置き場はまだ完成していないが(汗)、手入れをしている山に落ち葉がわんさかあり、それを今まで以上に活用したくなってきたので、落ち葉をためておける枠を竹で作ってみることにした。

お手本はYou Tube先生である。

竹を切り、枝を落とし、長さを揃えて切り分け、それをひたすら鉈で割っていく。細い竹は先端を斜めに切り落として竹槍のようにし、杭として使う。

で、さっき組んでみた。材料は竹だけ。紐とかネジとか一切使わずにできるのがスバラシイ。

竹、すんげえいろいろ使えるね

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