身体性の回復、人間とは何か?それが手で田植えをする理由

手で田植えをする理由

田植えの時期になった。

去年、田植え機が不調になったことをきっかけに、手植えを始めた。手で全部植えるなんて、できないと思っていたが。やってみたらできた。新しい世界への入口なんて、いつもそんなもんである。何かを考え抜いた末とかじゃなくって、うまくいかない出来事がだいたい次の扉を開いてくれる。

田植え機を使ったほうが圧倒的に早い。うちの田植え期は歩行型だから、手植えと同じで田んぼの中を歩きながら操作するので、正直、さほど楽ではないが、それでも腰を曲げて植える必要がないので、手植えより体の負担はかなり少ない。

で、改めて考えてみた。手で植えるとは何だろうか。例えば、なぜ田植え体験イベントでは機械で植えないのだろうか。

自分なりに整理してみると、第一に身体性を回復するためではないかと思う。

知性や行動は脳だけから生まれるものではない。身体の動きを通じて環境や世界と相互作用することで、知覚や認知を行っている。この身体性を回復するのがひとつの大きな目的だ。

例えば自転車の乗り方について考えてみる。説明書やマニュアル本を読んで得た知識だけで自転車が乗れるようになるわけではない。この状態は頭で分かっているだけである。実際に乗ってみて、その自転車の大きさやペダルの重さ、ブレーキの感触、道の状態などに応じて、体が少しずつ自転車の操作を覚えていくことで乗れるようになる。これが身体性(体でわかる)ということだ。

ただ、現代は情報がすぐ手に入り、溢れていること、少しずつ変わって来た部分があるのせよ、まだ頭脳労働のほうが肉体労働より価値があると見なされていること、そこに生成AIの普及などが影響し、頭でしか分かっていないことばかり増え続ける有様である。体を実際に動かすことで、失われてしまったもうひとつの知性を取り戻す。そのために、手で田植えをするのだ。

第二は、人間とは何なのかという問いである。

世の中のあらゆる物事の自動化が止まらない。昔は歩いてどこにでも行った。誰もが学んだ江戸時代の参勤交代では、各藩から江戸まで歩いた。今住んでいる地域だって50年くらい前まで、日常の移動手段は徒歩だったと聞く。それが現代はどうだろうか。

エスカレーターやエレベーターがあり階段は登らない、自動ドアでドアすら開けない。移動は車や飛行機、鉄道。座って手や足を少し動かすだけの車や鉄道の運転すら、自動化が進んでいる。

人工知能(思考や知能の自動化)も各国が競うように開発を進めている。体を動かすことをどんどん捨て、それを進化や発展と捉えている人間は、考えることも放棄しようとしている。

作物栽培の世界ではすでにGPS搭載の自動運転トラクターが投入され始めた。そのうち収穫機や洗浄機なども自動化されるだろう。人間はもう何もしなくていい世界が近づいている。

すると、例えば「旅行」はこうなるかもしれない。寝たまま脳波が測定され、電気信号で視覚や聴覚の情報が三次元映像や音声となって脳に直接送られると、脳が「旅先」の景色や音などを感知し、旅をしていると認識する。もはや移動すらしなくなるわけだ。

実際、ヒト、モノ、サービスの移動の自動化は、トヨタが進めるWoven Cityなどで実験が始まっている。退屈な世界はもう目前に迫っている。

では、そうなると、人間とは何だろうか。生きているとはどのような状態なのだろうか、人間とロボットの違いはあるのかと頭を悩ませてしまう。近いうち、ただ情報を収集しまとめあげるだけの生成AIは、本当の知能を獲得し、ロボットと組み合わせられるだろう。そうなったとき、ますます人間とロボットの境界はあいまいになる。ゲノム編集やクローン技術のような生命をいじる技術が組み合わされば、最後の砦であった命の概念すら変わるかもしれない。

だから、手で植えるのである。

今年もすべての田んぼを手で植えた。楽ではないし腰も痛くなるが、生きている気がした。

田んぼ教室7回目 手で植える田植え

手で田植え 埼玉県寄居町の有機稲作教室

【この日の内容】

①苗取り
②苗代部分の代かき
③田植え


【みんなで考えるこの日の小ネタ】
時間がないのでこの日はお休み

田んぼ教室7回目、いよいよ田植えとなった。

なんでもそうだが、ここまで来るのに長い時間がかかったと同時に、あっという間だったという気もする。

さて、作業はまず苗取りから。水苗代で育った苗を掘り上げるように取り、一本ずつに分けていく。昔ながらの田植えは、手で植えるのが腰に響いて大変だというイメージがあるかもしれないが、腰はさほど痛くないものの苗取りのほうが時間がかかって骨が折れる気がする。

午前中は苗取りと、苗の取り終わった苗代の代かきでほぼ終わった。

昼食休憩を挟んで、午後は田植え。7人いるので、植えるのはさほど時間がかからず、1時間くらいで終わっただろうか? これで棚田状に並ぶ小さな3枚の田んぼ、すべての田植えが終わり、20年以上に眠りから目覚めたかのように田んぼとして復活した。すばらしいことである。

雨予報だったが、大した雨は降らず、作業は順調に進んでよかった。ただ、雨が降らないので沼(ため池)の水は全然回復しない。まさに矛盾を感じた一日だった。

田んぼを作りながら考えるコミュニティ論

手作業で田んぼを作るというのは、本当に大変なことだとやってみて痛感している。機械作業と比べれば苦労が多いことくらいは最初から簡単に想像できた。でも、それはただ想像して分かったような気になっていただけで、どの作業のどこの部分がどのように苦労するのか、そのときの天気や野菜栽培との関連など、やってみなければ芯から理解できたことは何一つなかっただろう。

自分の田んぼについては手作業も交えながら耕運機を使っているが、なっちゃんがおもに作っている田んぼ教室の田んぼについては、刈払機以外、機械を使っていない。その田んぼ仕事を時間のあるときに共にする。大げさな表現かもしれないが、どう生きていくかについて感じたことや考えたことをいろいろ話ながら。それはある種の深い悩みであり、考えを共有できる喜びであり、他者の意見を聞いて思考を整理する時間であり、同じ時間を過ごす楽しさでもある。この時間があるからやっていられるのかもしれない。

と書いて、思った。

機械がなかった時代に田んぼを作っていた人たちも、同じような感覚があったのではないか。

食べていくためとはいえ、面倒で手間のかかり肉体的にもつらい作業を少しでも紛らわせるため、日々のことをあれこれ話したり、下ネタなども交えた田植え歌(田植え体験とは違って田植えは重労働である)にして歌ったりしていたのはまさにおれたちと同じだし、田起こし、苗代づくり、田植えなど大きな仕事の合間に囲んだ祝いの膳や営んだ祭りは、その時間を作業を共にした人たちと過ごす楽しみのひとときだったはずだ。

それが生きているという感覚につながり、真の意味のコミュニティを産んだのだのだろう。イベントやワークショップをやってできる現代的な薄氷のそれとは違い、生きることに直結し、ここで生きていくというある種の覚悟を伴った人間関係は強靭であり、些細な相違で割れることはなかったに違いない。

とはいえ、現場に立脚しない人たちが語りたがる美しい話ばかりではなく、妬みやもめごと、水争いが筆頭するような争いごともあったわけだが、コミュニティとは何なのかを考える上で、田んぼを機械に頼らず人と一緒に手で作るという作業に深い意味を感じ始めている。

生きていく上で必要な仕事を一緒にすることは共存である一方、他者の力がなければ成り立たないという意味ではある種の依存とも言える。この二つが複雑に絡み合った喜怒哀楽の関係がコミュニティの土台をなしたのか!?

そんな仮説を立てて、今日も田んぼに向かってみる。

田んぼ教室6回目 万能鍬での代かき

手作業で作る田んぼ教室の代かき埼玉県寄居町有機稲作

【この日の内容】

①代かきとは?(説明)
②万能鍬を使った代かき


【みんなで考えるこの日の小ネタ】
時間がないのでこの日はお休み

手作業でつくる田んぼ教室6回目は、いよいよ水を入れて代かき。これが一番骨の折れる作業かもしれないが、同時につくるって何だろうと考える意味のある時間になる気がする。

ひたすら万能鍬と代に向き合い、かいていく。

世の中には田植え体験があふれているけれど、田起こしとこの代かきが終わらなければ田植えはできない。

田植えはスタートじゃなくって、前半のハイライトだ。農業の大切さを伝えるために田植え体験をやって欲しいと頼まれたことがあるが、ハイライトだけ部分的に体験しても大切さなど伝わるわけはないから、断った。

その時だけ楽しくて何となく盛り上がればいいなら、物事は単純で簡単だ。でも、それでは何も変わらない。本当に大切なことを理解してもらうには、現場の人間としてめんどくさいことを言わなければならないし、長い時間もかかる。

楽しいことだけやって、SNSに投稿することに意味は何も感じていない。

いつも、何のためにやっているのか、そこを大切にしている。そうでなければ、手作業でつくる田んぼ教室なんて手間ばかりかかることはやってられない。

次回はいよいよ田植えの予定だが、代かきがまだ終わっていないこの状況をどう解決するか。手作業という良さげな響きを陰で支える彼女の地味な仕事の連続をどう伝えるか。

なんとなく人生に例えられる気がしてきた。

「じーんせい 楽ありゃ 苦ーもあるさー 涙の後には虹が出る♪」

苦しい代かきがあるから、晴れ晴れした田植えがあるのだ。ま、田植えも楽じゃないけどね。

20年の年月を甘く見た小沼の田んぼの代かき 

台風の雨でちょうど代かきができそうなくらい水が溜まったので、小沼の田んぼ②の代かきを始めた。

水が抜けやすいという想定のもと、まず、耕運機のロータリーを低速にし、軽いギヤで速度をあげ、一度、ざっと粗めに代かきをしてから、ロータリーの回転数を上げ、ギヤの速度を落としてもう一度かき、さらに代かきした方向と直交する向きで3回目の代かきをした。

ここまでやれば、ちょっとやそっとじゃ水は抜けないだろう。

が、しかしであった。

翌日、朝早くから富岡で着手が入っていたため、田んぼを見に行かなかったのが間違いの始まりだった。

代かきの2日後、着手の疲れが抜けない状態で野菜の収穫に出た後、真竹の竹の子を掘るついでに田んぼを見に行くと、何ということか水が抜けて土が固まり始めていた。このままだと土にヒビが入りそうだ。収穫した野菜は出荷調製小屋に置いたままだから、葉物がしんなりしないか心配だが急遽、代かきをする。台風で沼の水は少し回復したとはいえ、こんなに水が抜けやすいようだと水がいくらあっても足りない。

一言で言ってしまえば、20年以上、耕作放棄されて荒れた田んぼを復田するのは、やはり簡単ではなかったということか。

小沼の田んぼ①は、山の方にしみ込んだ雨水がにじみだしてきて田んぼに溜まり、それが水尻の塩ビ管から勢いよく溢れている。沼には水が少ないというのに、流れ出ていってしまう水もある。この水を無駄にせず、代かきした田んぼに入れられないか、あれこれ考えた末、サイフォンの原理を使ってホースで水路に戻すことにした。

農繁期で着手とその後の調べも重なり、きちんとブログに記録を取る時間がない。

台風6号の来襲で振り返る「自分は誰か」

日本農業遺産谷津沼

台風6号(チャンミー)が来ることになった。小沼の水が尽きそうだったので久しぶりのまとまった雨は心底ありがたい。水が尽きたらせっかく育てた苗も植えられない。日本農業遺産に認定された谷津沼水田稲作システムを復活させるというと、カッコいい地域おこし話に聞こえるかもしれないが、20年以上まともに手入れされてこなかった谷津沼を整備し、田んぼを作り直して元に戻すというのは並大抵のことではないことを実感している。

沼には膨大な量の落ち葉や木の枝等がつもり、沼の貯水量を圧迫しているし、内部の土手は灌木が生えていて、こまめに刈らないとアッという間に沼を覆い隠しそうだ。水量が最も少なくなったときに開ける最後の水栓ハンドルは、さびついて使えない。長い間、水の入ることがなかった田んぼは、土中の構造が畑のように変化してしまったため、水がかなり抜けやすい。沼の水が少ない中、これは致命的である。

埼玉県寄居町にある日本農業遺産谷津沼水田稲作
水を入れるときに抜く栓・底が見え始めている。

田んぼ教室用となっちゃんが使う苗を育てるために作った、広さは畳二枚分もない小さな苗代は、耕作放棄された期間の長さに耐えきれなかったのか、代かきが不十分だったことも重なって水の抜けが早く、沼の水はどんどん減っていく。この先の代かきや田植えが果たして本当にできるのか、心配でならなかった。田んぼ教室の田んぼは優先しなければならないから、場合によっては、自分が作る予定だった田んぼを一枚減らすか、陸稲状態で育てることも検討し始めていた。

そんな状態での台風到来である。

近年はまったく雨が降らないと思ったら、災害級の大雨に襲われることが各地で続いているから、台風によるまとまった降雨がもたらされるといっても、簡単には喜べない。ただ、夕立のような量の雨が降らなければ、ため池の水が回復することはなく、水が絶えれば当然のことながら喜べないわけである。五風十雨というように、10日に一度くらい雨が降れば、豊かな稔りがもたらされ農耕の喜びや幸せを感じられるものだが、もはや普通が普通ではない状況が長く続いている。異常気象が普通なのだ。カンボジアにいた頃、普通とは何かを問うために「トーマダー(普通の意)」という名の冊子を発行していたが、帰国して農業に携わるようになった今も、その問いから逃れられない。

ウェザーニュース(2026年6月3日午前4時43分)によると、3日の4時半頃、台風の中心部が和歌山県南部に上陸した。1951年からの統計史上、4番目に早い日本列島上陸だという。これもまた「普通」ではない

「いい学校を出ていい会社に入る」という普通を追い求めていけば、誰もが幸せになれるという時代を生きてきた。しかし、「いい会社」とは対極にある経営不安定な会社で働いたり、無職単身でカンボジアに渡ったり、農家の生まれでもないのに独立して農業を始めたりと、普通が手に入る生き方ではなかった。いや、手に入れようとはしなかったといったほうが正確かもしれない。なぜなら、幼少のころから普通になることを求められ続けたがゆえ、自分というものが消失しかけ、一体、自分は誰なのかという問答と向き合うことになったからだった。

精神を病んでいた訳ではないが、自分探しなどという悠長なものでもなかった。誰かと接し、何かに触れ、どこかに行く度、「アンタ、誰?」と投げつけられる。「いい会社」に就職した同級生たちは、自分と巨大資本の組織を同一視することで、その問いから逃れていたが、おれは答えを返すことができない年月が長く続き、いつの間にか35年も堆積していた。そしてやっと、ひとつの明かりを獲得できたような気がしている。おれは農民なのだ。

昨夜から降り出した雨は、夜が明けた今、けっこう降ってるなという量の雨で、天気予報によれば1時間あたり約15ミリの雨が15時くらいまで降り続くことになっている。田んぼの周辺が災害等につながることはなさそうだが、沼の水量がどの程度回復するかが気になってしかがない。それはおれが農民だからだ。

大和芋の定植/よりい週末有機農業塾

よりい週末有機農業塾大和芋の定植

今回は畑での実作業1日目。むかごを発芽させた大和芋の苗を植えた。

まず、肥料等に依存せず、以下のようなポイントに沿ってどのように土を育てるのかを説明する。

①草を刈るときは根を残して刈る 

②刈った草を野菜の株元などに敷く

③土壌生物のすみかをつくる(耕うんなどで壊さない)

④マメ科、イネ科の草や緑肥を組み合わせて使い、養分と有機物を畑に補給する

また、田畑と里山とのつながりを回復させることが地域農業の安定的な持続に重要であることから、市販のプラスチックや金属の支柱ではなく、里山で刈ってきた篠竹を使って大和芋のつるを誘引するやり方を実践した。市販の資材をまったく使わずにはなかなかできない(それくらいおれたちの生きる力は弱くなった)が、身の回りの環境を見直し、何でもかんでも買うのではなく、少しずつでも自分でつくることを取り入れていけば、おのずと力は戻ってくるものだ。そういうことを現場で実践しながら体で理解して欲しい。

本当に大切なことは誰かに教わって身につくものではない。毎日の小さな行動の積み重ねの中から自分で気づき、自らの血肉のように体得していくものだと思っている。教えてもらえば身につくのなら、世の中の諸問題はとっくに解決しているはずなのだ。

体の芯までしみ込むような理解に達すれば、見える世界が変わり、それに連れて暮らしの表情はきっとどんどんおだやかになっていく。

田んぼ教室5日目 苗代観察、苗踏み、畔塗り、草刈り

埼玉県の無農薬有機稲作米作り教室、苗踏み

【この日の内容】

①苗代の観察
②苗踏み
③平鍬を使った畔塗り
④畔草刈り

【この日の小話】
なっちゃんによる「田んぼと音」

今日は手作業で作る有機田んぼ教室。無事に芽が出た苗代の観察、苗踏み、鎌で畦草とため池の草刈り、平鍬を使って畦塗りの4本立てで進めた。

休憩のとき、一緒に教室をやっているなっちゃんに「田んぼづくりと音」というお題で話をしてもらった。作曲の仕事をしているなっちゃんだからこそ感じ得る自然と音の話に、参加者の皆さんから自然と拍手が注がれた。

無事に発芽して育っている苗代の観察

その拍手の源を知りたくて、みなさんに話の感想を求めてみたところ、一人ひとりからにじみ出てきた言葉がまた良かった。それは取ってつけたようなものではなく、いままでの生き方に根ざしたような言葉に感じられたからだ。

ただ、どんないい話も、聞いただけでは何も形を成さず、明日もまた今日と同じ風が吹き続けるだけだ。もし、その話が本当に良かったと思うなら、どんなことでもいい、小さくてもいい、人からどゔ見られるかとかどうでもいい、自分がいいと感じたその目指すべき世界を実現するために、何でもいいから動き出せるかどうかで、この先の人生は大きく変わる。

平鍬を使った畔塗り

何も変わらないのを人のせいにせず、自分から何かやってみれば、小さな新しい道が見えてくる。まだ道がないように見えても、歩き出してみればそこが小道をなしてき、歩き続ければ自分の人生の新しい道が拓ける。そういうことをこの20年間の実体験で感じている。自分の人生の道は自分でつくるのだ。

さて、彼女の話を聞いておれは何をやろう。

沼の土手の草刈り

鎌で刈った草は、一か所にまとめて積んでおいた。その草はやがて在来の生き物たちの餌となって分解され、養分をたっぷり含んだ土に還る。その土を田んぼに与えてやれば、命を育む豊かな稔りを結ぶだろう。山があって、そこから水が滴り、田をうるおせば生きていけた。石油なんかなくたって、そうやって数千年にわたり日本人は生きてきたのだ。

「山は油田だ」

師たーしゃんの言葉を思い出す。

答えはいつも、きっと、根本的なところに眠っている。AIなんかじゃ見つけ出せないところにね。

次回はいよいよ代かき。

上下の沼のつまりと現場仕事の厚み

日本農業遺産の谷津沼、埼玉県寄居町

ミニトマト・ボルゲーゼの苗を植えていたら電話が鳴った。水利組合長からだった。

「上の沼と下の沼の詰まりなんだけど、今、取れてつながったから」

まじですか!? 思わず興奮して大声を出してしまう。去年の夏以降、まとまった雨がほとんど降らなかったため、田んぼの水源である沼の水が枯渇しそうな状態が続いていた。根岸入池は、ふだん使う下の沼の水がなくなった場合、補助水源として接続されている上の沼の水の栓を抜けば下の沼に水が移るような設計になっているのだが、何年もの間、上の沼の周囲から落ちてくる落ち葉がつもり、それが栓を詰まらせていた。

つまりが解消されて上の水が下に移り始めたことで、下の水が溢れそうになっているから、田んぼに少しでも水を入れたほうがいい。今年は水が少なくて貴重だから。そんな話だった。

ボルゲーゼの残りを植え終え、水を入れる準備をして、なっちゃんに連絡してから田んぼと沼へ向かう。

農地も人間の体も機械や道具も、手入れを怠ればすぐに不具合が生じる。この谷津沼を活用した水田耕作も、かろうじて耕作者が三人残っているから水利組合が維持され、共同で沼のまわりの草刈りなどが行われてきた。ただ、その水利組合員の圧倒的多数は高齢者でもう耕作はしていない。田んぼを作っている3人も同様に高齢で、一人は80代、残りの二人は60代くらい。だから、もう時間の問題で、よくなっちゃんと「終わりのはじまり」という話を苦笑いしながらしているが、この谷津沼もすでに崩壊は始まっていると言ってもいい状況だった。

そこにおれ(40代後半、ほぼ50)となっちゃん(30代前半)が新しく加わったという図になっている。

谷津沼につくと、作業をしてくれた設備屋さんの姿があった。水の栓を外して水路に水を入れてからお礼のあいさつをする。どっしり、ずんぐりした体形で、おれのと比べると倍くらいの厚みのある手が、さまざまな現場を支えてきたことを淡々と言葉なく静かに物語っていた。

米の自給などといっても、この沼の水がなければおれたちは田んぼを作れない。「農家さん、ありがとう」なんて言われる世界だが、その農家さんの仕事を陰で支える現場仕事があって、初めて日本の農業は二本の脚で立つことができるのだ。農水省のおかげでもなければ、かき集めてきた事例発表に終始する農業コンサルの仕事が功を奏したからでもない。自立すらできない薄っぺらい世の中が無思考に嫌う「不法移民」も、その一翼を担っていることは明記しておきたい。

さて、沼の話に戻る。上の沼の水位が減り、底のほうが見え始めてきた。周辺の山から落ちて長年、堆積した落ち葉が、一面にぬんめりと姿を現す。還元状態のなかで嫌気性の微生物が長い時間をかけて少しずつ分解しているため、黒っぽくヘドロのように変色していて、おそらく見えない下の方はドロドロだろう。水をたたえていたとき、沼の表情はどことなく穏やかであったが、それが何となくおどろおどろしい風景に変わった。もののけの世界とはこういうものか。それは自然から離れ、科学を唯一の信仰とする世界で長く生きてきたおれにも、自然を畏怖する感覚がまだ残っていることを感じさせた。

農業大学校の授業を終え、後から来たなっちゃんが設備屋さんから聞いたところによると、この沼は設備屋さんの祖父の代がつくった。大正時代のことだ。その時の写真を地元の役場に持っていったらいらないと言われたので、滑川の役場に持っていったら「貴重な資料だ」といって受け取ってくれたという。何に価値を見出すのか、その視点がいつの時代も問われている。

水を入れ、やりたくてもできなかった畔塗りの準備として、畔に沿って水が回るように溝を掘る。設備屋さんの手の厚みと現場仕事の深い価値をかみしめ、水を得たことで田を作れる喜びを再認識しながら。

復田で考えた「効率の先にあるもの」

耕作放棄された荒地水田の復田作業、畔を直す

畑仕事、復田した田んぼでの田植えの下準備と同時並行的に、新しい田んぼ(通称塩沢7)の復田を進めている。先のブログ(以下)に書いたとおり、水路の復旧は終わったので、続いて崩壊した畔を直す。

スコップと万能鍬で土を掘り、畔があったであろう場所に土を盛り上げて踏み固める。「塩沢7」には葦の代わりに茅(チガヤ)がわんさか生えていて、地下茎をびっしり張って増えるこの人たちに、どうやって大人しくしててもらうかが、もう一つの大きな課題だ。

さて、畔直しである。茅を筆頭とする草の根がびっしり生えて水を含んだ土は、簡単に鍬の刃を通してくれない。直す畔の長さは80メートルくらい。土が水を含んでいるので、ついでに田んぼの水漏れを防ぐ黒塗りも兼ねてやる。

「ここ、田んぼにするん?」

通りがかる地元の人が声をかけてくる。ここもまた、20年以上、田んぼとして使われていなかったところだから、毎日、通りがかる人の目には、少しずつ地味に風景が変わっていくさまは興味を引くに違いない。(無関心な表情で通り過ぎる人も多いけどね…)

手間や苦労を裏返すと何が見えてくるか

この手作業による復田という仕事は、かつて、この地で稲作が始まった頃、新田を拓いた先人たちの苦労や、機械のない時代に田を手仕事で作り続けてきた汗を、脳ではなく体で感じるひとときでもある。なんでも自動化が進む今の時代に、こんなことを考える時間はなかなか見つからないから、それもまたいいものだ。苦労や手間を悪しきものとして駆逐していき、効率や利便を追求していく生き方が飽和しているような気がするが、苦労や手間とは見方を変えれば、夢中、やりがい、真剣、学び、習得、達成感、喜びでもあるから、その結果として生まれたものに対し、意味や価値を深く体で理解できるようになるのではないだろうか。

それに、効率を追い求める先にあるのは、人生の大量生産なんじゃね?とかも考えてしまう。

一つ一つ違うこととか多様性とかは非効率であるから、究極的な効率とは統率の取れた軍隊のように表情なくみな同じになることである。現実的に、世界はどんどん単調化していっている。同じような車に乗り、どこにでもあるアウトレットや大型店舗で買い物をし、流行りものの服を身にまとい、チェーン店で食事をし、プラモデルのように生産された建売住宅に住む。

細かい違いはいっぱいあるけれど、大枠でとらえると色彩の変化が乏しい人生、それが効率の先にあるものだから、「みんな違って、みんないい」とか「私らしい」とかが待っていてくれるわけではない。

それを田んぼに当てはめると、規模を拡大し、碁盤の目のように直角の畔が整然と並ぶ幾何学的な空気の田んぼになる。どこの農村にいっても、個性的な商店が並ぶ商店街ではなく、どこでもほとんど同じ店舗が入るイオンモールのように単調な田んぼの風景が広がる。自動化が進むから、そこで見えるのは自動運転のトラクターやドローンなどの機械類で、人の姿はほとんどない。ほとんど工場のような風景ともいえる。
今の農政が推進し、みなが賛同するスマート農業とは、そういう世界を産む農業である。人手不足なんだからしょうがないだろうという無思考な突っ込みは、このことを深く考えなければならないだろう。果たしてそれで、本当にいいのか、と。

とはいえ、じゃあお前は効率を完全に無視することができるのかと問われると、それはうなずけない。おれたちが生きている時代は、効率を前提にしているからだ。土台に効率が居座っている以上、その上の建物が効率を無視できるはずはないから、何とかうまく付き合っていかなければならない。だから悩ましいのである。

復田って、自分の人生や生き方を振り返る時間なのかな。

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