日曜日はよりい週末有機農業塾。最近、投稿してなかったけど、ずっと地味に続けてるよ![]()
日曜日はよりい週末有機農業塾。今日は里山で落ち葉掃きをする事前準備の下草刈りをする。倒木や枯れ落ちた木の枝などをどかしながら、鎌で篠竹や笹を黙々と刈り、まとめては谷へ下ろす、という作業を続けること、およそ2時間半。
荒れて日当たりが悪くなり、林床が暗かったところに日差しが届き、明るい森になった![]()
林床が明るくなると、日差しを好むさまざまな植物が生えてきて、里山の植生が豊かになる。すると、餌が生まれるので、それに連れて昆虫や鳥類などの種類も増える。人間が手を加えることが自然破壊なのではなく、手入れをすることで蘇るという自然観がここにある。こうして、里山の環境は守られてきたのだ。
が、ここまでは、へ理屈である![]()
昔の人達は、こうしたことを、環境を守るためにやってきたのではなく、自分たちがそこで生きるためにやってきた。山を多様にするために下草を刈っていたのではなく、田畑の土に還して肥やしたり、家畜の餌にしたり、薪炭林の手入れをしやすいように下草を刈ってきたのだ。
それが結果として、里山の環境を守ることに繋がった。つまり、その生き方自体が環境保護になっていたと言える。
一方、学問も技術も発達した現代は、おれのようにへ理屈ばかりこねる頭でっかち君ばかりになり、環境保護のためにどうすればいいのか、みたいなヘンチクリンな話になってしまった。そんなことは、目の前のこととひたむきに向き合っていれば、考えなくても必然的に答えが出たのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう![]()
机の上だけで環境論や里山保護を唱えても、何も変わりはしない。もう一度、生き方それ自体が自然と調和するような方向を目指していきたいと改めて思った日曜日だった。

