男衾有機家庭田んぼ教室2026

男衾に有機稲作の里をつくる活動の仲間を増やすため、2026年3月から試行版として有機家庭田んぼ教室を始めました。家庭菜園のように、誰でもやりたい気持ちがあれば自分で食べるお米を自分で生み出せる、そんな家庭田んぼづくりの教室です。

日程と内容は以下の通りになります。続けていける形を模索しながら、2027年以降も開催する予定です。

[特徴]
●初めて田んぼを作る人向けの入門的な内容です。
●米をつくるだけでない田んぼの世界を体験します。
●参加者みんなで、ひとつの小さな田んぼを手作業中心で作ります。機械はほとんど使いません。
●道具類は貸し出しますが、使い慣れたものがあればご持参ください。

【開催時間】 9時から12時の範囲で一回1~3時間程度(田植えの日のみ5時間程度を予定)
【回数】全16回
【募集人数】 6人
【場所】 埼玉県大里郡寄居町男衾地区にある田んぼ

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2026年度男衾有機家庭田んぼ教室 予定表
内容
3/14(土)有機家庭田んぼ教室 オリエンテーション、現場案内
3/21(土) 田起こし
4/18(土)苗代づくり、苗代の代かきと塩水選
4/25(土)籾ふり
5/16(土)刈払機の使い方、畦草刈りと畦塗り、苗代の観察
6/6(土)代かき
6/20(土)苗取りと田植え、草対策①
※この日は9時~15時開催予定。昼食持参)
7/4(土)除草機がけ
7/18(土)水管理、田まわり、草取り、畦草刈り①
8/1(土)水管理、田まわり、草取り、畦草刈り②
9/12(土)稲刈り準備(竹の切り出し)
9/19(土)稲刈り
10/17(土)脱穀ともみすり
11/7(土)秋の田起こし
11/21(土)籾殻くん炭焼きと土ふるい


※人間の都合に合わせるのではなく、自然の営みの中で田んぼを作るとはどういうことなのかを学ぶため、内容は天候や生育状況などにより、事前の予告なく変更になる場合があります。


【関連ページ】

里山の手入れに夢中な日々

時間を見出しては、里山の下草刈りを地道に続けている。畑や田んぼの仕事も楽しいが、今は頭と身体が里山の手入れに向かっている。種をまき、苗を植えるのに忙しい春になり、ただでさえ仕事が追いつかなくなりがちなのに、農業委員の仕事や有機農業塾の準備もあり、さらに田んぼ教室なんて始めちゃったものだから、あわただしいことこの上ない。そこに、電話での呼び出しも重なるから、さあ大変だ…。

体、いっこしかないんだけど汗

それにしても、里山の手入れは燃える。2メートル以上ある篠竹が木の間に結構びっしり生えているから、パワーのない充電式刈払機ではやや役不足な感じだが、刈ってはまとめ、刈ってはまとめてを繰り返していくと、どんどん見通しがよくなっていく。

篠竹がびっしりで、檜も間伐や枝打ちをしていないから林床が暗め。そのせいで植生は単調かと思ったが、中に入って刈っていくと、意外といろんな下草が生えていることに気が付く。名前を知らないので説明できないのが残念だ。

やはり、外から眺めただけで里山を語ってはいけない。見落としてしまうものが山ほどある。

限られた日の光を求めて生えてきた木や草をなるべく残しつつ、びっしり生えている篠竹を刈るのはなかなか難しい。

奥がどうなっているのか、木になって仕方がないので、篠竹をかき分けて山の上を目指すと、下草だけでなく木のほうも思っていたより種類が豊富で、山栗や山桜も何本か見かけた。ここまで手入れが進められれば、春(もう春だけど)には花見ができて、秋には栗が食えるじゃないか!

こういうのが、かなり強いモチベーションになっている。

「やる人」と「やってもらう人」の垣根

間伐材で作った丸太ベンチ

引き続き、男衾有機家庭田んぼ教室(埼玉県寄居町)の環境整備をやっている。

もう、教室はオリエンテーションが始まったが、まだ整備は途中という状態……。ふだんの仕事をし、頼まれ仕事もやりながら、新しい試み(田んぼ教室)を形にするのは、なかなか骨が折れる。儲かるかどうかだけが価値判断の基準だったら、こんなことはやっていられないが、物事の見方が変わったおかげで、儲からないことにも意味を見出せるようになった。
いや、儲からないことのほうが、意味深いものが圧倒的に多い気がする。


間伐して皮をむき、丸太ベンチをつくろうとしている檜が、皮をむいたところまででずっと止まっているので、なっちゃんの発案で見つけた休憩場所へ運ぶ。と、その前に、その休憩場所予定地には、田んぼ整備で大量に発生したごつい草置き場になっていたので、フォークでそれを一か所に積み上げて踏み込む作業をやる。

毎朝、ちょこちょこ刈っていた頃を少しばかり思い出す。

かなりの量だが、夏ごろにはたぶんそれなりに分解されて堆肥になるだろう。そしたら田んぼに戻せばいい。

土から生まれたものを土に還していれば、環境は荒れない。

環境を守ることは、よく考えると家計にも優しい。

「買ったほうが安い」というのは、売りたい人たちの宣伝文句に過ぎない。

さて、丸太である。まだ乾いていないから、結構重たいけど、それっぽく並べてみると、なかなかいい感じだ。
協力的な田んぼ教室の参加者の方が、休憩場所に使えるテントを持ってきてくれることになった。ありがたいことだ。「やる人」と「やってもらう人」の垣根が自然と崩れていけば、世の中の多くの問題は解決するんじゃないかなんて考えてしまう。

この教室は「田んぼ教室」という名前だが、田んぼの作り方(技術)なんてどうでもいいと思っている。そんなことより、田んぼを作ることで見えてくる世界を感じて欲しい。垣根が崩れれば、それが少し実現するはずだ。

有機家庭田んぼ教室オリエンテーション

男衾有機家庭田んぼ教室2026がはじまった。埼玉県寄居町の男衾地区にある、20年以上、使われていなかった元耕作放棄地、そこを開墾しなおし、新たな学びの場として蘇らせた。

今回は試行版ということで、公に募集はせず、知っている人たちに声をかけた結果、7人が集まった。

初日はオリエンテーション。主催者ふたり(おれと、なっちゃん)の挨拶兼自己紹介の後、参加者のみなさんにも自己紹介をお願いした。よりい週末有機農業塾のときもそうだが、この時間はどんな人が参加を希望してきたのかを知る重要なひとときになる。

いろんな背景を聞くことができたが、やはり今までの暮らしや生き方に何かしら疑問を持ったり、つまづいたりした経験が申し込みの動機になっている人が多い。それは仕事だったり、都市的な生き方の違和感や強いストレスだったり、体質や健康だったりとさまざまだが、その根っこには、経済成長を中心に添え、仕事ばかりか日常生活にまで効率という概念がしみ込み、それに異を唱えようとする感覚すら失われてしまった現代の暮らしに限界が生じ、あちこちでひびが入っていることを物語っているようにも感じられる。紡ぎ出されたひとつひとつの話は、ともすると個人の物語で完結するように受け止めてしまうかもしれないが、それは社会のひびからにじみ出てきた滴なのではないか。ぽたぽたと落ちる7つの滴が集い、小さな流れを生み出し、今までと違う世界を探し始めている、そんな印象を受ける。

世の中の生き物のなかで、人間だけ、なんでこんな生き方になってしまったのだろうか。ほかの生き物みたいに、食って、寝て、たまに交尾して、ただそれが続けばよかっただけなのにと常々、思う。

経済発展のおかげで豊かになり、その恩恵を受けているくせに何を言っているのかとよく突っ込まれるが、では、その「豊か」とはどのような状態なのか問うてみたい。

余談だが、以前、豊かさとは何か? などという仮説をああだこうだ書いてみた。何の参考にもならないだろうが、自分の頭を整理するために記したものだ。


豊かさって何だろう その仮説①
【続】豊かさとは何か 仮説①ー1


話を戻そう。教室全体の説明をしてから、有機稲作をつくる活動の概要や意味を伝えるため、現場を案内した。時間はかかるだろうけれど、少しずつ仲間が増えていくことを願う。

質疑応答のときに、始めて田んぼをつくるという人たちからいくつかちょっとした不安の声が漏れた。

ただ、どんなことでもそうだが、最初はみんなやったことがない。おれも、なっちゃんも、やったことがなかった。

誰もが失敗して少しずつできるようになっていく。
意欲をもってやり続ければ、赤ちゃんのようにいろんなものを習得できる。
へたくそでいいから、続けていって欲しい。

そうすれば、必ず道は拓ける。

どこかで聞いたような、取ってつけただけの言葉じゃなくて、自分の実体験からにじみ出る表現を獲得してほしい。

自分で刈って使う篠竹の価格は上がらない

月曜日は山の手入れの日。男衾に有機稲作の里をつくるためには、田んぼの水源となる谷津沼周辺の山がいきいきと保水力をたもつ必要があるということで、毎週、月曜日に山の手入れを始めた。

今日は10代の若者と、隣の地区で新規就農した水辺の生き物好きの二人が手伝ってくれた🤩 生き物とか、山とか、カエルの味🤭とか、カラスを食べた感想とか、そういう生きた話をしながら、また夢中になって谷津沼の周りに密生した篠竹を刈り続けた。

気持ちいい時間だった。

刈った篠竹のうち、太いものは野菜の支柱として使うことにした。葉を落とし、長さを大まかに揃えると、立派な材に変わる。自分が手をかけると形になり、活用でき、暮らしがまた一つ、地域にあるもので成り立つようになる。こういう視点に立つと、物事の見方が大きく変わる。

農業も支柱を含むさまざまな資材は高騰しているが、自分で刈る篠竹の値段は上がらない。それどころか、タダで取り放題である🤭 刈れば風景がよみがえり、また別の恵みももたらしてくれる。

山の地主さんによれば、下草刈って落ち葉を掃けば、金木犀の花が咲く頃に白しめじっていうウマい🤩キノコが採れるってさ。これもまた、恵みだよね。

思わず、キノコ採集ハンドブックとか借りてきちゃったよ、図書館で🤭

消えそうな山の道をよみがえらせる下草刈り

今日はなっちゃんと山の整備をする日。

谷津沼(ため池)の奥にある山の道に笹や篠竹がわんさか生え、その上に落ちてきた枯木の枝や倒木が重なって、通れなくなってしまっていたので、鎌で地道に刈り、枝や倒木をどかし、道を再生する作業をやった。2時間近く、二人で夢中になってやり続け、だいぶ道が回復した!😀

下草を刈る前はこんな感じ。奥が見通せない。

荒れた里山の手入れを始めた理由

おれたちが蘇らせたいと考えている田んぼたちは、里山の谷間に作られた谷津沼(ため池)が水源になっている。山に降り注いだ雨が染み込み、長い時間をかけて谷筋からにじみ出るように湧き出たミネラルの豊かな水は、清らかな沢をなし、それを溜めることで稲作に使ってきた。

地元の人達によると、50~60年くらい前までは水が流れていたそうだが、今では残念ながら沢は枯れてしまい、その後が残るのみとなってしまった。

沢の水は沼を経由して水路を流れ、田んぼを潤し、川に出て、海へと続く。つまり、沢が枯れるということは、海が貧しくなることを意味する。枯れた沢はここだけではなく、全国各地にあるのだ。

有機稲作の里をつくるには、沼の水がいつも豊かでないと困るし、水を蓄えてくれる山が生きていなければならない。

田んぼや沼を見ていると、おれたちは山に生かされていることを痛感する。だが、その山は荒れ、活力を失った木は枯れて倒れ、もはや絶える寸前に見える。

昨日から、なっちゃん @natsuki_tanbo と毎週一回、山の手入れをすることにした。沢が枯れたことを知ってから、おれたちの目標に沢の復活が加わったためだ。沢を戻すには、山の手入れをし、その息吹を取り戻す必要がある。何年かかるか分からないが、地道に続けていけば必ず光が差し込むことはこの20年で感じている。

生きていくのに必須の水や水源に背を向けたまま、持続的ななんちゃらを謳うのは、完全に本質を見誤っていて、なんとも虚しいではないか。

田を作ると稲が育ち米が取れると説いてきた。だが、田を作るには、山が生きていなければならないことを、改めて突きつけられている。

10代の若者が手伝いに来る

田んぼのある地域に住む若者が作業を手伝いたいと連絡をくれた。その土地に住むまだ10代の若者が、荒れた田んぼを蘇らせることに興味を持ち、手伝ってくれるなんて、感激である。

キラキラ✨(ギラギラかな)した都会じゃなくて、自分のうちのすぐ近くのことに関心を寄せるその眼差しが嬉しく、ありがたい。

なっちゃんと3人で畦の補強をしたあと、冬の寒空のもと焼き芋を焼いて食べた。

みんなで体を動かしたあと、ウマいものを食べる。なんてシンプルでいい時間だろう。

目指せ!脱石油農業への道

田んぼ用にずっと探してきたディーゼルエンジンの耕運機をやっと譲ってもらえた。

耕さない農業と言い出したひとつのきっかけは、農業があまりにも石油資源と大型の機械に依存している、その状況を何とかできないか考え始めたことだった。

それが変わらない限り、有機農業だろうが、自然農法だろうが、持続可能の道は開かれない。

で、まずは機械の小型化と、直接的な石油依存から抜け出す道を模索するためのディーゼルエンジン耕運機である。ディーゼルじゃあ動力は石油(軽油)じゃねえかと突っ込まれるかもしれないが、うまくいじってアレ(まだナイショ)もエネルギー源にできるようになれば、完全に脱石油にはならないものの、算数ができない頭で計算した結果、大した根拠はないが8割くらいは減らせんじゃね?という見込みだ。

そうなると経費が下がるから、売上を上げなくても利益は上がるんで、その分、サボって酒でもウダウダ飲めるかも。

あ、そしたら暮らしの経費が上がっちゃうな泣

最終的には冬水田んぼの面積を増やし、耕運機も手放して、不耕起で田んぼを作れるようになれば、刈払い機だけで営農できるようになる。

ま、どうやれば冬水田んぼ増やせるのか、ほとんど道は開けてないけどね…。

歩いたところが人生の道になる

田んぼの畦づくりと並行して、ため池周りの手入れも進めている。田んぼに水を入れる栓を開けるには、結構急なため池の土手を登らなければならないが、階段がなく、滑ってかなり登りにくい。

怪我防止のためにも、平鍬で土を削って階段を作ることにした。一段ずつ段を刻んでいくと、新しい道が開通したかのようになり、ぐっと歩きやすくなった。

ある人が言っていた。

「歩いたところが(人生の)道になる」って。

道(人生の選択肢)がないと嘆く暇があるなら、歩き出してみればいい。後ろを振り返ればその人の道ができているから。

荒れた田んぼを復活させようともがき続けているが、その対象と真剣に向き合えば向き合うほど、本当にいろんな学びが得られる。

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