誰もが平等に田を作れる里の創出

支配を無思考、無意識に受け入れ、その苦しみや辛さすらうまく表現できない、さらには表現すら規制されつつある今の時代においては、自治が重要になってくるのではないかと考え始めている。

その根本には、当然、自給に基づく自立がある。自分の足で立てないところに、支配の土壌が生まれてくるからだ。

そんなことを考えていたら、おもしろい本と出会った。

『コモンの自治論』斎藤幸平、松本卓也・編(集英社)

大化の改新によって導入された班田収授法について、こんなことが記されている。

/////////////

誰もが田を平等に持てるということが人間にとって非常に重要であり、それが保証されるところから「自治」が始まる

それは、生まれ落ちた人間すべてに最低限の生活を無条件に保障するという現代のベーシック・インカムに通じる仕組みと言えなくもない。

ただ、それと異なるのは、お金ではなく、米を生み出す田んぼである、という点です。お金の代わりに自然物を共有するという、権藤が班田収授法を評価する理由はここにあります。

///////////

個人の力では、誰もが平等に田を持てることを実現させることはできないが(それは政治の役割)、せめて自分の目で見える範囲内において、希望すれば誰もが平等に田を作れる、という地域を、いや、もっと身近な里のような区域を生み出せないか。

これが、考え始めている田んぼ教室のひとつの芯。

よりい里山文化祭でお話会開催

昨日は里山文化祭のイベントの一つとして「男衾に有機稲作の里を作ろう!」のお話会を開催した。

前半は、2か所の現場を回りながらこの活動を始めた理由や概要をご案内し、後半は火を囲みながら、手作業で田んぼを蘇らせた二人の女性の話を聞くという半日だった。

今回の企画意図は大きく2つある。

ひとつは、里山文化祭というのだから、里山とはどのような場所か、文化とは何なのか、そういうことを一緒に考える時間を作ることだ。

そこで、里山、ため池、水路、田んぼ等が織りなす昔ながらの省エネルギー農業システムがどのようなものだったのか、人間がひとつの生き物として里山の生態系にどう関わってきたのかを現場でお話し、知ってもらうプチツアーを開催した。

もうひとつは、それらを自分なりに噛み砕き、前述の農業システムの枠組みの中で、自分たちが実践できることを最後までコツコツやり続けた二人の女性の話を聞いてもらうことだった。

里山、里山と叫び、近くでおしゃれなワークショップをやったり、里山保全の知識だけ溜め込んでも、里山の息吹が蘇ることはなく、荒れたままであり続けるだろう。里山が里山であるためには、人の手入れが欠かせないからだ。

里山やその周囲の環境を守るには、外から眺めているだけでなく、対象を知り、その中に入り込んで汗を かくことが大切になってくる。それを実践した二人の話は、最初から最後まで通して体験した人でなければ語り得ない内容になる。こういう話を聞ける機会は多くない。

霧雨が降る中、21人という予想を遥かに超える方々がご参加くださり、二人の話に耳を傾けていた。

話を聞き、興味を持って仲間に加わろうとする人たちも生まれた有意義な時間だった。

準備や告知等にご協力くださった皆さま、ありがとうございました。

イベント お話会のご案内

すでにお知らせしたとおり、寄居町で開催される里山文化祭の一環として、おれたち3人でやっている活動「男衾に有機稲作の里を作ろう」のお話会をやることになっている。

耕作放棄されて荒れた田んぼを、手作業で手入れし、田んぼとして蘇らせたふたりの女性によるこのお話し会は、なんちゃらワークショップと比べると、はっきり言ってモーレツに地味なイベントである。

企画した当時、その地味さゆえに、果たして申込みはあるのか正直、かなり心配だった。有機稲作の里を作ろうという文言は、キャッチーな響きではあるかもしれない。ただ、おれたちが発し続けてきた言葉には、何ひとつ派手さで引き寄せるものはない。

だが、それが静かに響いたのか、地元の人を含む20人(子どもを含む)もの方々にお申し込みいただいた。

儲かる話でもなければ、有名講師のありがたいレクチャーでもない。無名のおれたちが流している汗や考えていること、見ている夢に興味を持ってくれる人が、こんなにもいるのは、素直に嬉しい。

よりい週末有機農業塾の過去の塾生が3人も申し込んでくれたのも喜びにつながる。地味に続けてきたことが、小さな形をなし始めている。

手作業だけで田んぼを作るのは、現代人にとってもはや至難の技となり、技術もほとんど伝承されていない。

聞きたくても聞けない

やりたくてもやれない

見たくても見れない

そういう、失われていくことがどんどん増えている。

その意味を二人の女性と考えてみたい。

失われゆくものの意味を考える時間

すでにお知らせしたとおり、寄居町で開催される里山文化祭の一環として、おれたち3人でやっている活動「男衾に有機稲作の里を作ろう」のお話会をやることになっている。

耕作放棄されて荒れた田んぼを、手作業で手入れし、田んぼとして蘇らせたふたりの女性によるこのお話し会は、なんちゃらワークショップと比べると、はっきり言ってモーレツに地味なイベントである。

企画した当時、その地味さゆえに、果たして申込みはあるのか正直、かなり心配だった。有機稲作の里を作ろうという文言は、キャッチーな響きではあるかもしれない。ただ、おれたちが発し続けてきた言葉には、何ひとつ派手さで引き寄せるものはない。

だが、それが静かに響いたのか、地元の人を含む20人(子どもを含む)もの方々にお申し込みいただいた。

儲かる話でもなければ、有名講師のありがたいレクチャーでもない。無名のおれたちが流している汗や考えていること、見ている夢に興味を持ってくれる人が、こんなにもいるのは、素直に嬉しい。

よりい週末有機農業塾の過去の塾生が3人も申し込んでくれたのも喜びにつながる。地味に続けてきたことが、小さな形をなし始めている。

手作業だけで田んぼを作るのは、現代人にとってもはや至難の技となり、技術もほとんど伝承されていない。

聞きたくても聞けない

やりたくてもやれない

見たくても見れない

そういう、失われていくことがどんどん増えている。

その意味を二人の女性と考えてみたい。

PAGE TOP