一度失われたものは簡単には戻らない

水路側の畦の穴を何とか直し終わったので、反対側(西側)の畦の補修を始めた。西側は大半が完全に崩れて平らになっているため、補修というより作り直すといったほうが的確かもしれない。

表面の草を削り取るように平鍬を入れて草を削ぎ、削いだ部分に土を盛っては踏み固める作業を繰り返す。土を盛ってすぐは、ふんわりしているので、それなりに畦が高くなったように見えるが、踏むと潰れてすぐ低くなってしまう。

きつく踏み固めなければ、水が漏れてしまうので、ここはしっかりやらなければならないが、盛っても盛っても、なかなか水を止める土手のような高さの畔にはならない。

土が重めで硬いことも、作業の進行を妨げる。

最初から必要な高さの畦を作っていこうとすると、時間がかかりすぎて先に進んでいる感がなく、へこたれそうになるから、まずは7~8センチの高さに留め、どんどん進めていくことにした。

それでも、2時間近くやって、10メートルくらい、西側全体の3分の1か、4分の1程度できたかどうかという具合……。足先は冬の夕刻で冷え始めているが、そこから上は長袖一枚でもじんわり汗をかく。

顔を上げる。

田んぼのすぐ南側にある谷津沼(ため池)は、地主さんによると何代か前の方が畑だったところの土を深く広く掘り、掘り上げた土で周囲に土手を作って水が貯まるようにしたものだという。

土手の高さは3メートルちょっとだろうか。これだけの量の土を掘って盛るのは、かなり長い時間がかかったことだろう。

その土手が、土手草の草刈りをしなくなったせいで土が柔らかくなり始めている。管理されない状態が続いたら、水が滲み出し、土手は少しずつ崩れていったことだろう。

そうなったら、体のなまりきった現代人のおれたちでは、とてもじゃないが修復できない。かといって、重機を入れて直してもらうなんて、いくら掛かるか分かったもんじゃない。

おれたちがこの場所を借りて作り直そうとした今のタイミングは、貴重な天水を恵みとして受け止める、この地域の谷津沼稲作という優れたシステムや、手で田んぼを作るヒトとしての当たり前の技術が崩壊する寸前だったのかもしれない。

一度、失われたものは簡単には取り戻せない。失われそうなものを目の前にして、その言葉が迫り寄ってくる。

おれがやっていることは、直接的には荒れた田んぼとため池を復活させることだが、それが成し遂げられたとき、真に蘇るのは何だろう🤔

そんなことを考え始めている。

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