
今日はよりい週末有機農業塾。在来大豆を早どりした、昔ながらの枝豆の試食会をした。
もらったブロックともらった鍋(もらってばっかり😅)を組み合わせて即席かまどを作り、そこで湯を沸かして収穫したての枝豆を茹でる🍺
はっきり言ってうまい!
甘味と香りが違う🍺🍺
参加者のみなさんも
「これはおいしい!」
「幸せな気分になる!」
と喜びの笑顔😀
枝豆は鮮度が落ちると味も落ちやすいから、とれたては格別においしい🍺🍺🍺とれたてが食べられるのは、おれたちの特権だ👍

里山と田畑をもう一度つなぐ

今日はよりい週末有機農業塾。在来大豆を早どりした、昔ながらの枝豆の試食会をした。
もらったブロックともらった鍋(もらってばっかり😅)を組み合わせて即席かまどを作り、そこで湯を沸かして収穫したての枝豆を茹でる🍺
はっきり言ってうまい!
甘味と香りが違う🍺🍺
参加者のみなさんも
「これはおいしい!」
「幸せな気分になる!」
と喜びの笑顔😀
枝豆は鮮度が落ちると味も落ちやすいから、とれたては格別においしい🍺🍺🍺とれたてが食べられるのは、おれたちの特権だ👍

今日はよりい週末有機農業塾。寄居町の特産品の現場、小林みかん山にあるみかん園の横手園さんへ見学に行く。
みかん園を案内していただき、少しばかりお手伝いということで、三角鎌で草削り。いつもは平らな畑で作業をしているので、急斜面での作業は足腰に響く。
みかん園の概要に加えて、なぜ、農薬や化学肥料を使わないのか、どうやって管理しているのか、年間の仕事の流れはどのようなものなのかなどのお話を、笑い話を交えて伺う。
おだやかで農にどっぷりと魅せられた人柄が伝わってくる。
終わったあと、よりい週末有機農業塾の参加者のみなさんに感想を聞いてみた。
「斜面での作業は、平らな畑と全然違って、山だから石もあるし、こんなに違うんだと実感した」
「山のなかでの暮らしというのもいいなと興味を持った」
「自然に沿ってみかんを育てていたり、自分の考えをしっかり持って続けてこられている姿勢がすごくよかった。生きざまがお顔に現れていた」
生きざまが顔に現れているという言葉は、なぜか妙に自分のなかに響いた。生きざまとは何だろうか、そんなことを考え、反芻しながらよりい週末有機農業塾の畑に戻ると、しばらく前に植えたバナナが、小さいながらもしっかり根を張り、葉をピンと空に向かって伸ばしていた。

根が弱っていて、ダメかもしれないなと思いつつ植えたものだったので、バナナには悪いがほとんど忘れかけていた。それが、新天地で堂々と葉を広げているのだ。
思い返せば、おれもサラリーマン生活から出て、新しい生き方を求め男衾にやってきて、やっとほんの少しばかり土に根を張れるようになってきたような状況だ。
今の暮らしを振り返ってみる。毎日のあらゆるものが、同じ人間の人生とは思えないくらい、心地よくガラリと変わった。
よりい週末有機農業塾は、畑を使う人を増やしたいと思って始めたもので、荒れていく田畑や山を何とかしたいという想いがその根底にある。
新しく畑を使うといっても、いろいろな形があるわけだから、それを見てもらいたくて見学先を探し、アポを取り、見学のお願いをしてきた。どういう人がどんな風に田畑を暮らしのなかに織り込んでいるのか、いろんな事例をモデルケースのように紹介することで、イメージを膨らませるのに役立つだろうと考えたのだ。
でも、2年目に入った今、考えてみると、モデルケースを紹介するというのは、自分とは違う生き方に触れてもらうことだし、畑を暮らしに取り入れるというのは、今までとは違う生き方を始めることに他ならない。
新しい生き方を実践する具体的な手法のひとつが、畑で野菜を育てる、そういうことな訳だ。
ということで、これからはよりい週末有機農業塾を新しい生き方を切り開く場にしようと思う。暗いニュースばかりが飛び交う世の中だけど、結局、最後は自分で道を拓いていくしかないのだから、そういう人たちとともに日曜日の時間を過ごしていきたい。
あ、あくまでも寄居町の事業としてやってるから、表向きは耕作放棄地対策、新規就農促進が目的なので、形としてはそこに繋げるように努力するけどね😅

今日はよりい週末有機農業塾。稲刈り後のはざ掛け(天日干し)に使う竹を切りに行く。
はざ掛けの台なんて、切り出す手間を考えたら、買ったほうが安いとも言える。それに切ってる暇があったら、他の仕事をしたほうが金は稼げるだろう。何でもや効率を中心に考える思考では、きっと山の手入れなんて理解不能に違いない。
じゃ、なんで山の手入れをするのか
その意味は何なのか
環境保全とか多様性とかっていう漢字続きのお固い言葉を噛み砕き、目の前の風景と照らし合わせるとどういうことになるか
美しい里山の風景はどのように生まれ維持されているのか
山と日常生活との接点を感じることはあるか
そういう自分達の暮らしや生き方と結びつけた質問を投げかけながら、人から聞いた言葉の受け売りじゃなく、山を目の前にして自分の頭で考え、自分の言葉で表現してもらう時間を取った。
さらに、頭でっかちになりがちな「環境保護」ってやつをぶち壊し、実際に体を動かして汗を流し、手入れというものが具体的にはどういうことなのかを竹引き(ノコギリ)と自分の体を使って体験してもらった。その汗の先に秋の実りがあることを身をもって感じてもらえれば、地域の小さな農はきっと復興するだろう、そんな淡い期待を込めて山を案内した。
この時間が用意できるのは山の地主さんの協力はもちろん、地主さんと繋いでくれた様々な人たちの長きにわたる関係、柔軟な視点でこの事業を見守ってくださる寄居町農林課のみなさん、そして毎週参加してくださる参加者の方々のおかげだ。
みなさん、どうもありがとうございます。
畑や田んぼだけで完結する農業教室じゃなく、その周辺環境とのつなごりや広がり、農の多様な表情を伝えるために、これからも内容を工夫していこう👍

日曜日は埼玉県寄居町で開催している、よりい週末有機農業塾、自分たちで育てた野菜を使い、男衾農産物直売所での出荷体験をやった。
出荷する野菜は、茄子、胡瓜、ピーマン、オクラの四種類。
今までは野菜は買うものだった。農業塾に入ったことで、栽培するという視点が加わり、さらに出荷体験で買うとは逆の売るという視点も加わることになる。視点が増えたことで、見ているものは同じ野菜だけれど、見える景色や考えることは大きく変わる。

それまでは、野菜はできあがったものだった。
栽培することで、種、開いた双葉、成長のようす、植え方、花の色や形、におい、土の感触などを知った。土から離れ、命を失ったかのような姿でスーパーの棚に並ぶ野菜ではなく、日々、生命力にあふれ、すくすくと育つ植物としての野菜を見た。
それを売ることになる。
今までは同じ野菜なら、安いほうがよかった。でも、同じ野菜はないことも分かった。きゅうりといっても、多様な品種があり、育てた人が違えば育て方も変わるし、土が違えば生育や味にも影響する。

売るとなると、価格を決めることになる。かかった経費や時間、栽培の手間を考慮しなければならないし、同じ野菜はないのだから、競合するかのように見える他の野菜との違いをどう表現するのかも考える必要が出てくる。
スーパーのチラシを見せる。特売でピーマンが一袋78円で売られている。今までは嬉しかったが、今は複雑な心境だ。
ピーマンの種をまくのは3月頭。苗を育てるための場所づくり、育てる期間、植え付けてからの管理、支柱を立てるときの苦労…。
「この価格でいいのだろうか」
ただ、自分たちは週一回とはいえ、栽培の過程を見てきたから、そういう気持ちになるけれど、世の中の圧倒的多数は、以前の自分たちと同じ、「安いほうがいい」のだ。
この溝をどう埋めたらいい?
どんどん課題を投げ掛けて、頭の中をグルグルさせるように考えてもらった。それが出荷体験の真の狙いなのだ。やるべきこと、伝えたいことは、いつもはっきりしている。ただの収穫体験とか、楽しい農作業体験とか、そういうことをやるつもりも時間もない。
無農薬で安心安全などと言ってるだけでは、何も変わりはしない。むしろ、そこしか見なかったら状況は悪化する可能性すらある。
もっと現場を見て、考えて欲しい。それには、やはり一時的とは言え、今までとは違う立場に立ってみるのが分かりやすい。
あ、こっちからだと、こういう風に見えるんだ……。
出荷後、感想を聞いてみた。
●我が子を嫁に出すかのような心境だ
●頭がものすごく疲れた
●何て言っていいかわからない、複雑な気分になった
次の月曜日からはきっと、スーパーの棚に並ぶ野菜が、今までとはちょっと違った風に見えるはずだ。

今日はよりい週末有機農業塾。キャベツの植え替え(鉢上げ)をやった。
種まきや植え替え、植え付けは細心の注意を払う必要がある。種をまく深さが1cm違うと芽が出なかったり、植え付け方を間違えると育ちが極端に悪くなることがある。
農業は、なぜか経験のない人でも簡単に手伝えると思われているが、この世の中にそんな仕事はない。どんな単純作業に見える仕事でも、実際にやってみると、経験に裏打ちされたコツや勘が必要なのは、言うまでもない。
農業は、生き物相手の仕事だから、考えなければならないことが山ほどある。種まきひとつでも、何を、どうやって、いつ、どんな土に、どのくらいまくのか、まく場所の近くはどうなっているか、次の日の天気はどうか、などなど。
気候変動の時代に、これらを適切に判断して実行するのは簡単なことではない。何しろ、相手は生き物なのだ。こちらの言うことを何でも素直に聞いてくれる訳ではない。10年、20年の経験がある人でも、判断を謝ったり、猛暑や豪雨で痛い目に遭うことは珍しくない。
たった一粒の種をまくときに、考えて行動しなければならないことがわんさかあるわけだ。
農業はなぜか誰でも手伝える簡単な仕事だと思われがちだが、もう一度考えてみて欲しい。命を相手にし、結果として命を支える仕事は、誰でも簡単に手伝えるのだろうか。
ちょっとした小さな間違いが、食べるもの、それはつまり自分の命を支えるものに直結する可能性があるということを、現場での体験で伝えていきたい。
今日はよりい週末有機農業塾の一般見学会。
開催の目的は大きく二つ。
ひとつは、町の事業としてやっているこの農業塾を地域の方々に公開すること。もうひとつは、物事の根っこを見ようとする仲間を増やすことだ。

今回は、どんな人たちがよりい週末有機農業塾に通っているのか、どんなことを学び、何を感じているのか、そういうことを見学会で伝えたくて、農業塾生のみなさんに前面に立ってもらい、11名の見学会参加者の前で、育てている作物や収穫方法について案内や説明をしてもらった。
自分の言葉で表現して他者に伝えることで、自分がどのくらい理解できているか再確認できるし、塾生と参加者とのちょっとした交流にもなる。
一番見せたいのは、畑ではなく、人だ。同じような立ち位置にいる農業塾生の人たちの生の声を聞き、触れることで、よりい週末有機農業塾という場や、自分で耕すという行為に、もう一歩踏み込んだ興味を持ってもらいたい。さらに、小さくてもいいから、実際に自分の手で畑を耕してみて欲しい。そんな願いを込めてみた。
すでに農業をしているおれがあれこれ話しても、職業として農業をするつもりのない人には、あまり響かないだろうけれど、自分や家族が食べるものを育てたいという志を持つ人の言葉なら、より染み渡るだろうという感覚があった。

無農薬、オーガニック、自然の恵み、豊かな食材など、表面的できれいな響きの言葉ばかりが飛び交い、それらが成り立つために流される汗の量には無頓着な意識が定着しつつある。
これでは、有機農業の価値が正当に評価されず、広がることもない。
現場には興味がなく、ただオーガニックと叫ぶことが好きなだけの人たちには、田畑の声は届かないから、無駄な努力をするのはやめた。時間は限られているし、かけられる労力にも限度がある。
現場に興味があるけど、接点を見いだせなかった人たちと現場とのつながりを作ることに注力しよう。
わさわざ現場に来てくれる人たちなら、汗と土にまみれた匂いを感じてくれるはずだ。

屁理屈抜きで、土に向かう生き方を心地よいと感じられる人たちとの関係性を、つながりを作り上げたい。
見学会の最後に、参加者の感想を聞いてみた。土に向かう喜び、塾生たちの表情に対する反応、自分の手で食べるものを取る楽しさ。嬉しい声がいくつも畑にこだました。
自分で食べるものを自分の手で生み出すのは、想像を越える苦労がある。ただ、喜びはそれを遥かに上回ることをこの小さな有機農業塾で伝えていきたい。おれにできることはその程度のことしかない。
ただ、その程度のことが継続によって局地的に大きなうねりになることがある。ぶっ倒れそうになりながら、この有機農業塾を続ける意味は、そこにある。

今日のよりい週末有機農業塾は田植え。田植えは大勢でやるとにぎやかで楽しい💃
この後、草が出たら自分で植えたとこの草は自分で取り、穂が垂れたら自分の手で刈るというやり方にした。
田づくりの全部を体験してもらうことはできないけれど、田植え少し前の様子を見てもらい、田植えから先の作業も、少しずつとはいえ通して体験してもらうことで、従来の「いいとこ取り」の農業体験とはやや違った響きを感じてもらいたい。
自分の命を支えるものが、どうやって生み出されているのかが分かれば、本当の「いただきます」がきっと自然に出てくるはずだ。
ただの楽しい農業体験じゃなく、農業の意味を現場で伝えていこう👍

日曜日はよりい週末有機農業塾。じゃがいも掘り、薩摩芋の植え付け、葱の土寄せ、ミニトマトのソバージュ仕立て紐張りなど、夏に向かっていく畑はやることが盛りだくさん。
ミニトマトはすくすく生長し、青い実をたくさんならせている。葱と茄子はうちの畑より育ちがいい。同じ人間が同じように種をまいて、同じように育て、同じように植えたのに、土が違うと生育がこうも違う。
こういうのを見ると、人間ができることなんてたかが知れているなと思わされるほど、土の力は大きい。野菜づくりだなんて言っても、人間は野菜を作れない。できたもの、取れたものをいただくだけだ。
田畑を体験してもらうというのは、どういうことなのか改めて考えている。自然のなかで働く楽しさとか、収穫の喜びとか、土に触れるとかいったような、あちこちで語られる表現の向こうに、どんな風景が広がっているのか。
毎週日曜日のひとつひとつの作業をパズルの一片にたとえるなら、この農業塾の最終日にできあがる絵がどのようなものになるのか、常に考えていきたい。
たとえそれが言葉で表現しきれなかったとしても、体験を通して楽しさの根底にあるものが共有できれば、田畑はまた少しだけ応えてくれるはずだ。

今日のよりい週末有機農業塾は田んぼからスタート。一番の目的は、人為と自然との関係や影響を現場で見てもらうことだ。
耕作放棄されて藪のようになりつつあった田んぼを耕し、6年目。まだあまり識別できないけど、いろんな植物・動物プランクトン、水澄まし、水馬(アメンボ)、子負虫(コオイムシ)、水蠆(ヤゴ)、御玉杓子(オタマジャクシ)、どこからどうやって来たのか謎の泥鰌(ドジョウ)、蛙、蜻蛉、さらに鴨や鷺などの鳥も遊びに来るようになった👍
参加者の皆さんに、実際にどんな生き物がいるのか探してもらう。
「あ、いた!」
「ここにも!」
田植え前の田んぼにも、水が入るといろんな生き物が姿を現す。調査によると、その数は多いときで1500を超える。これは素直に驚きだ。
「米づくり」という言い方が定着している。でも、人間は米を作れない。米を生むのは稲であって、おれたちが作るのは田んぼだ。田んぼを作ると稲が育ち、米が取れる。さらにいろんな生き物も生まれる😀 生き物を増やすことを意図して田んぼを作っているわけではないが、結果としてたくさんの生き物が誕生する。
人間の行為はすべて自然に反するもの、自然破壊だとする論調が支配的だが、おれたちが田んぼを耕さなかったら、これらの命は生まれない。こうした「人為=自然破壊論」は、一千年単位の田んぼづくりと共に歩んできた生き物たちの躍動にどう答えるのだろう。
生き物の名前のカタカナ表記は、命の記号化のように感じられる。それで都合よく進む物事もあるのかもしれないが、アメンボを水馬と書いた創造力や観察力、コオイムシを子負虫と表記した温かい眼差しは失われてしまう。
そして同時に、生き物たちに囲まれた賑やかな仕事場(田畑)で生きる喜びまでもが、悲しいほど無機質に記号化されてしまう。
もう一度、生き物たちと共に汗を流す喜びを喚起したい。地球環境を語る前に、足元の身近な環境に目を向けられる人を増やしていきたい。
よりい週末有機農業塾で少しずつ具体化していこう👍 それが地域の田畑に息吹を吹き込むことにつながるはずだ。
日曜日はよりい週末有機農業塾。今回は嬉しいことがふたつあった。
ひとつはちょっとした工作として竹を使った支柱づくりをしたとき。やったことを文字にすると、竹を鋸(のこぎり)で切って鉈で割る、それだけの作業だけれど、
「楽しい!」
という声が響いた。

そう、ちょっとしたことだけど、物を作るというのは楽しい。効率重視の分業制が定着し、自分の手を使ってはじめから最後まで何かを作り上げる機会はほとんどなくなった時代、切って割るだけの支柱でも自分で作り上げる、生み出す喜びがあるのだ😄

もうひとつは、見えなかったものが見えてきというた声だ。よりい週末有機農業塾に通い始めるまで、人の畑には興味を持たなかったけど、参加し始めてから、あれは何だろう、これは何だろうと気になるようになったというのだ。
興味のアンテナがどちらに向いているかで、同じ景色を見ていても、見えるものが違ってくる。畑に関心を持つようになると、そこから先、今までとは違った世界の広がりが鮮やかな色彩を持って視界に飛び込んでくるはずだ。そうなると、毎日の暮らしは少しずつ変わってくる。今まで当たり前だったものが、そうでなくなってくる。
理論や理屈は後回しにして、これからも現場を五感で体験してもらおう👍
と言いながら、ついついペラペラしゃべってしまうのだが。
●よりい週末有機農業塾についてはこちら
よりい週末有機農業塾/埼玉県寄居町