食卓の向こう側

食べるって何だろうか。来年度以降のよりい週末有機農業塾で、さらに問い続けるべく、早起きして(だからいつも眠い😴😵‍💫)学び始めた。

教材は西日本新聞社の連載をまとめたブックレット「食卓の向こう側」。新聞記事の連載なので、ひとつひとつの原稿は長くなく、専門用語も砕かれていて読みやすい。

人間が必要なミネラルと土のミネラルの関係
食べることが脳や心理に及ぼす影響
食事と生きる意欲との関連
捨てられ続ける食べ物の話

など、夢中になって読み進めちゃう内容ばかりで構成されている。

もどき ~ 安さの裏にあるものは
「消費者が素朴な疑問を持たなければ、いい食品は生まれない」
コロッケ一個20円。「なんでこんな値段でできるんだろう?」。福岡市内のスーパーの惣菜コーナーで、主婦の副島智美(43)は首を傾げた。
(続きはブックレットで)

食卓面接 ~ 非行少年の心理を知る
「彼にとって食卓とは、自分を中心に家庭が成り立っていると繰り返し味わう場だった」
(続きはブックレットで)

それは何のためにやっているのか?

日曜日は、よりい週末有機農業塾。種まきのための土の調製と、春野菜の種まきなどをやる。

今年度は今回を含めてあと3回となったので、最終日に実践してもらう卒塾課題に向けて、なぜその作業が必要なのか、何のためにやるのか問いながら、なるべく自分たちで進めてもらうよう、突き放していく。

一つ一つ細かく教わりながらやると、理解できてわかったような気になるが、単純そうに見える作業でも、始めから自分で作業手順や必要なもの、なぜそうするのかを考えて実践するのはなかなか難しい。

いつでも、全部、ていねいに教えれば、その場ではみんなできるようになった気持ちになって、楽しい時間になるかもしれない。

ただ、その楽しさとは、どのような性質のものかと考えると、その場だけの享楽的な時間と言い換えられる。
そこには、自分でできるようになって世界が広がる喜びとか、試行錯誤して生み出した達成感とか、さらに進んでみようという意欲を掻き立てられるとか、そういう楽しさはない。

そして何より、享楽を演出しただけでは、畑を使う人を増やすというこの農業塾の目的も達成されはしない。

何のためにやるのかを参加者に問う作業は、この事業を何のためにやっているのかを自分に問うことに等しい。

「農業たのしいよねー」みたいな楽しさを目的としてやるなら、もっと楽だよなと今さらながら思う。

わー、すご~いみたいな要素を散りばめ、ちょっと技術的なものを盛り込み、やった感を演出すれば、それなりに形になるからだ。

でも、それはよさげな農作業をいいとこ取りして切り貼りした時間に過ぎず、農業ではない。より深いところを目指したいという気持ちも沸き立ちにくいから、世界の広がりも期待できない。

享楽的な楽しさは飽きやすいので、続かず、次の新しい享楽を求めて去っていくだろう。そこに残るのは、今までと何も変わらない風景とわびしさ、徒労感…。

だから、敢えて面倒な問いを続けている。
その問いの先が薄っすらとでも見えれば、心の濃霧がさーっと晴れ、今までとは違うものが視界に入るようになるからだ。

ただ、そんなにウマい話ばかりではないから、全員には伝わらないことは分かっている。
たった一人でもいい。毎回、ほぼ一年に渡る時間をかけて、真に視界が開ける人が生まれれば、長い時間をかけて続ける意味があるだろう。

それは何のためにやっているのか?
なぜ必要なのか?

南京結び、すぐ習得?!

日曜日はよりい週末有機農業塾。
今日は田んぼの稲わらを回収し、軽トラの荷台にがっつり積んで運ぶ。そういうときに大活躍する南京結びというロープの結び方を練習した。
この結び方は結構複雑で、最初はなかなか覚えられないのに、今年度の人達は2回やっただけで身についちゃう人達が三人も?!
すげえ!

それから、ドラム缶を使った籾殻くん炭焼きを実演。自分で焼けると、捨てられていたものを資源に変えることができる👍

いいね!の裏にあるもの

日曜日はよりい週末有機農業塾。下草刈りをした山に入り、落ち葉を集めた。
それを持ち帰り、農業塾の畑で踏み込み温床を作る。
冬の間に自然の発酵熱を利用して春夏野菜の苗を育てる伝統的なやり方で、使い終わったあとの落ち葉や稲わらは、分解されて腐葉土になり、翌年の苗を育てる土として使える。

出来上がった踏み込み温床を前にして、こういう話をすると、多くの人は
「いいね👍👍👍」
という。

ただ、そのいいね👍が生まれるまでに流された汗や地味でしかない作業の連続に目を向けている人はどのくらいいるだろうか?🤔

下草刈りがしやすいように枯れ枝や倒木をどかす
広大な山でただただ下草を刈り続ける
熊手を使って延々と落ち葉をかき集める
大量の落ち葉はけっこう重たい
落ち葉をひたすら踏み込む
毎日観察して温度管理をする

その結果、いいね👍が生まれるのだ。

日本が誇る自動車製造に例えよう。出来上がった車は性能がよく、デザインも華やかだ。ただ、その車を形作る一つ一つの部品はどんな人が作っているのだろう?

日本車、メイドインジャパンなどと言っても、日本人が日本で全部作っているわけではない。関連産業も含めると、撲滅すべきと叫ばれている不法就労の労働力や、現代の奴隷制度とすら称される技能実習生も、自動車製造の一翼を担っているのは明白な事実だ。

光を当てられることのない影の存在が、輝かしい「いいね👍」を生んでいるということを、地味な畑仕事の連続で伝えていきたい。

今までのあれって何だったん?!


日曜日はよりい週末有機農業塾。踏み込み温床の枠作りをする。
毎週、通ってくれる人たちなので、大分いろいろな話ができる関係性になってきた。

今日も休憩時間に、一言で言えば「これからどう生きていくか」という話になり、結構盛り上がって、雨だったこともあり、1時間近くみんなで話し込んでしまった😅

農業塾に通うようになり、今までになかった視点が増えたことで、これまで当たり前のように見ていた物事が違う景色として視界に入るようになってきた。

そして、今までのアレって、いったい何だったんだろうか?! と、モヤモヤすることが増えてきたという声が響き始める。

モヤモヤしているときは、それなりにつらいが、それを抜けたとき、
「ああ、こういうことだったのか!」
と、台風一過の青空のような景色が見えるようになる。だから、モヤモヤは大事な一歩であり、違う角度で人生に向き合い始めた証でもある。

何も考えないで、世間の当たり前に従って生きるのは楽だが、その結果の集積が今だということから逃れられはしない。

小さな変化を起こしたいなら、やり方を変えればいい。
大きな変化を起こすなら、見方を変える必要がある。

今年度のよりい週末有機農業塾もあっという間に残りわずかとなった。そのわずかな時間をモヤモヤ増殖に費やしていこう👍

山の手入れは海の手入れ

日曜日はよりい週末有機農業塾。今日は落ち葉掃きの事前準備として、山の下草刈りをやった。
山の手入れは水源の手入れであり、その先にある田、水路、川、海の手入れにもつながる。
科学の盲信が影響してか、局所的、部分的な正しさにばかり注目が集まる世の中だが、物事を総体的に見る視点、俯瞰するようなまなざしが、農の再生には必要だと思っている。

そういう視点を持った人をこの地域に呼び込みたい。

生き方が変わった卒塾生訪問


日曜日はよりい週末有機農業塾。今日は卒塾生訪問として、昨年度の受講生5人が始めた自給農の現場を見学に行く。

草だらけだった耕作放棄地を自分たちで整え、初めて1から作物栽培を始めたことで、野菜の価格、環境問題、気候変動、資源、耕作放棄など、いろいろな事が現実味をもって感じられるようになってきたという。


自分と直接関係のある世の中の諸問題には関心を持つ人は多いが、そうでないとほとんどの人は無関心のままで終わってしまう。そういう問題も、自分が興味のある話と見えないところで共通の根を持っていて、景色としては見えていたけど自分の目には映っていない。

自分たちにもあったそういう景色が、畑をつくるようになってから世界が広がり、見えるようになってきた👍というお話は印象的だった。

さらに、自分の手でできる範囲で命の糧を生み出すようになり、人間は自然に生かされているという謙虚な気持ちも生まれてきたという。

体を動かして気持ちのよい汗をかき、採れたての、売っているのとは味も鮮度も生命力も違う野菜を日常的に食べられるようになり、食卓が豊かになったという声も嬉しい🥰

昨年度、開講日だけで計120時間、準備や調整を含めるとその倍近い時間を費やしたが、それがこんなにも美しい花を咲かせてくれたことに、一人で感激している。

その種をまいたのは確かにおれだが、芽を出し、葉を広げ、鮮やかな花を咲かせたのは現場のみなさんに他ならない。小さくて目立たない花かもしれないが、その花はここにしか咲いていない唯一無二の存在なのだ👍

大きな力をいただいた🙇🏻
今日の午後も頑張ろう💪

見えないところを見る大切さ


日曜日はよりい週末有機農業塾。大晦日はみんな休みたいかと思ったが、

「やっていただけるなら、ぜひお願いしたい」
との嬉しい声が届いたので、いつもどおり畑に集う。

今日は味噌作りに向けた大豆の選別、二回目の麦踏み、そして土の見方をやった。
作土、生物、生えている草、水はけ、歴史など、いろいろな観点から土を自分で診断するポイントを説明した。

どうしても見えるところ(地上部の生育)ばかりに注目しがちだが、見えないところにもっと大事なポイントがある。そこに目を向ける大切さは、農業以外でも共通している。

そうした視点が、それぞれの実生活で役に立ったら嬉しい。

遅めに種をまいた三浦大根も立派に育ったので、大根掘りもやってみた。
現代の多くの大根は、収穫の際にすぽっと抜くだけなのに、なぜ「大根掘り」というのか、実際に大根を掘ってもらい、その意味を体験してもらった。

金銭依存度を下げる生き方

昨日は埼玉県寄居町の居酒屋か~むさんで、よりい週末有機農業塾の忘年会。酒飲んでただどんちゃん騒ぎする会ではなく、これからどうやって生きていくか、そんなことを考えている人たちと冗談も交えながら、生きることについてああだこうだ話ができた会だった👍

今までと生き方を変えてみたいけど、不安も大きい、そんな声もあった。気持ちはよくわかる。おれもちょっと前までは同じだったからだ。

ただ、金を払って誰かにやってもらわなければ、自分ではほとんど何もできないというのは、なんともろく崩れやすい生き方なのだろうという恐ろしさと、情けなさのような気持ちにも包まれたことは忘れない。

例えば大根一本の価値は、経済がどうなろうと、国家が破綻しようと、常に大根一本そのものであるのに対して、おれが依存してきた金は、自分ではどうすることもできないところで、価値が上下する。その上に自分の人生は乗っかっていたから、いつも本質的にグラグラしていることになる。

さらに、金がなければ何もできないが故に、本来はただの交換手段に過ぎないはずの金の価値が、人生の中で相対的に上がることになる。その結果、限られた人生の時間を切り売りして金を得るいびつな労働に邁進してしまう。
大事な家族のために金が必要だという理屈はわかるが、その金を稼ぐために人生の時間を削り続けると、大事な家族と過ごす時間が減っていくという、消費支出型生活のジレンマに陥ることになるわけだ。

生産せず、支出する一方だから、多額の金が必要になるのであって、少しでも支出を下げて生産の比率を上げれば、世間が騒ぐほどの金は必要ないということに気が付き始める。昨夜はそんな人たちとの一夜だった。

「この農業塾は、野菜の育て方を学んでいるようで、違うことをいろいろ学んでいる」
そんな声が生まれ始めて、やってきてよかったなあとまた改めて思った、そんな一夜でもあった。

これからも金銭依存度を下げる生き方の智慧を分かち合っていきたい。

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