嬉しさ/喜び→振り返り→勘定は最後

有機栽培じゃがいもの収穫
じゃがいもを少しずつ掘り始めている。
土から形のいい芋がたくさん出てきたときには、素直に嬉しい。
あった!
でかっ?!
この瞬間、
「一株あたり1kgちょっと、大きい株で1.5kgくらいだから全体で○○キロ、●●円の売上だな」
とは考えない。「儲かる農業!」系のひとたちはそういう思考かもしれないが、うちはまず、喜びが先に来る。この喜びは、きつさ、苦労、失敗などと表裏一体だから、表の結果しか見ず、裏には無関心の思考には、この感覚は理解できない。

次に
「あんとき、きつかったけど頑張って土寄せしといてよかったな」
「来年もこのやり方でいくか」
という振り返りの思いがめぐり始める。

それから、また改めて
「それにしても、肌のきれいなジャガになったなー」のような喜びにまた包まれ、全部掘り終わり、全体量がわかると、
「今年はよくできたな~」
と嬉しさがにじんでくる。

最後に「この量なら●▲に□kgくらい出せるな」という勘定が始まる。

美しい清貧の思想を説きたいわけではない。おれだって、カネは欲しい😅 カネがなければ生きていけないのは純然たる事実だ。

でも、真っ先にカネ勘定という仕事はつまらないのだ。もっと言うと、喜びがない、生き甲斐を感じない。うちの場合、仕事と生活が一体化しているから、仕事がそうなってしまうと、毎日の暮らしも色褪せてくる。

地域の小さい農業をどうするかという話になると、すぐ稼がせたがる人がいる。稼げることがその職業の価値を測る最大の物差しのような語り口をされる。おかしな話だ。
世の中には、所得や給料の額とは無関係に、必要で意味のある仕事はたくさんある。カネ中心の職業観が支配的だから、技能実習のような制度が生まれるのではないか。

うちの2倍、3倍の年収を誇る人たちが、仕事の愚痴ばかりこぼしてたり、仕事ばかりでストレスためたりしてんの見てると、何のために働いているんだろう、この人の生き甲斐はなんだろう、と考えてしまう。

こんなことを書いているから、うちは儲からない😅 でも、毎日、喜びとやりがいに満ちている👍

仕事の喜びを語ろう👍👍

明日も生きようと思わせるものがなければ、人生はかなりしんどいはずだ。それがあっても、しんどいのだから。

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