作物本来の味を伝える難しさ


ほとんど外食しない(できない)けど、たまに外食すると残念な気分になることが多い。やたらと味つけが濃くて食材の味がほとんどしないからだ。

職業柄、野菜と米、豆の味は気になるので、自分の家以外で食べるときは、それらの味をかみしめることを心がけているけれど、味付けと食感が違うくらいで、根っこはどれも化学調味料(アミノ酸だの、イノシン酸だの)と塩分。本来、熟成によって生まれるうまみを、効率の名の下に化学的に作り上げた、こののっぺりとした味は、後味がとても悪く口の中にしばらく居座り続けるから厄介だ。

「安心・安全、環境にやさしい」という言葉が浪費され、ほとんど人の心に響かなくなったこの時代、有機野菜、米、豆、麦の価値を伝えるには、やはりおいしさだと思うのだけれど、何を食べても化学調味料と塩分の味、という状態が一般化している中、作物本来の味を伝えるにはどうすればいいのだろう。

よく食育っていうけれど、生まれてから何十年も慣れ親しんだ味付けから離れられる食育は果たしてあるのか。濃い味は体によくないとか言っても、本人がうまいと思えばやめられない。そういうもんだ。理屈や理論はたぶん疎まれるだけ。

そういうものを超越した作物栽培を目指さなければならない。道のりは険しくて長い。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です