意識しない種の話

ズッキーニの種採り最近つきあいの始まった人が、あるメディア関係者を連れてうちの畑に来た。種に興味を持ち、テレビ番組の企画を作る前段階の下調べで、種に関わるいろんな人に話を聞いているという。

「種は調べ始めると本当に奥が深い。でも、私たちの暮らしは種がなくては成り立たないのに、種のことを知らなすぎる」

種は、
●食べる(ゴマ、豆類、米、麦、トウモロコシなど) ※ゴマ自体がゴマの種ということを知る人はどのくらいいるんだろう?
●飲む(コーヒー、麦茶、豆乳、酒、ビールなど)
●作物のもと(野菜等になる)
●家畜の餌(肉などになる)
●祭りの供え物等
●酸素のもと(種→植物→酸素)

などなど、本当に生活に欠かせないものだけれど、意識することはほとんどない、でも、近年は種をめぐる動き(種子法の廃止、種苗法の改正など)がいろいろあり、全体としてはあまりいい方向に進んでいない気がする、このまま一般の人が種に興味を持たないままでいると、知らないうちに大きな問題が起こるのではないか

訪問された氏はそんなことを考えるようになったらしい。

確かにそうだ。種は播くものであって、種を播かない人には関係ないものという感覚がほとんどだ。自分の命を支える食べ物への本質的な無関心が増幅する今の時代、その源の種に関心が向くわけはないのかもしれないけれど、少しでも興味を持つきっかけになる番組を作りたいという氏の考えには共感した。

自分も農業に興味を持つまでは、種に意識が向くことはなかったので、種のことを考えない感覚はよく理解できる。でも、それでは危ない。

別に頼まれたわけじゃないけど、種のことをわかりやすく、身近に感じてもらえるようにするには、どんな切り口がいいのか考えている(けど答えは簡単に出そうにない)

自分ができることは、田畑に人を呼ぶ、田畑と市街との往来を促す、田畑と暮らしの距離を縮める、そんなことだろうか…。

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