自分にはできないと思ってた明確な理由


自宅北側の涼しい場所に夏用の作業場を作るべく、奮闘している。ここ数日は、近所の大工さんに借りた鐫(のみ)で、木材の加工に勤しむ。
鐫なんて生まれて初めて使う道具だ。
というか、今の仕事を始めるまで、中学校の技術の時間にちょこっとノコギリとかいじくったくらいで、自分で木材を加工して何かを作ったことなんてないし、できるとも思っていなかった。

必要に迫られてたこともあり、自分でいろいろやり始めたら、時間はかかるものの、下手くそなりにいろいろできるようになってきた👍

最初は6年前か?単管パイプで物置を建てた。基礎を打ち込むときの直角出しに苦労したが、あれこれ調べたり、近所の小屋を見たりして、何とか組み上げた。
手間はかかったが、その分、基本的なことがなんとなく身に付いたので、次は廃材を自分で切ったりして、庭先に出荷作業小屋を建てた(写真はその経過)。

単管と勝手が全然違うので、かなり苦戦しながらも、単管小屋の経験が生かされた結果、これも下手くそなりに形になった👍

これはすげー大きな自信に繋がった。パソコンのキーボードを叩くしか能のなかった典型的な事務系のおれが、自分で小屋を建てたのである。安直な言葉だが感激したわけだ。

そして次は、もう少し複雑な加工をしようと思って、鐫(のみ)をいじり出している。

こんなこと、自分にはできるわけないと思っていたが、それには明確な理由があった。

何のことはない、やらなかったからだ😅

やらないのに、できるようになるはずがない。やってもいないのに、できないと言うのは、論理的に矛盾をはらんでいるとも言える。当たり前のことだが、最初からできる人などどこにもいないのだ。

やればすぐできるようになる訳じゃないし、失敗も多いが、夢中になってやってればきっと小さな何かがつかめる。それがちょっとした次の原動力につながる。

今では偉そうに農業塾とかやってるが、ベランダに置いたプランターでラディッシュ😅を育てたのが最初の作物栽培だ。あのとき、ラディッシュの種をまいていなかったら、農業塾なんてできるようにならなかっただろう。

私にはできないと思っている人たちに、やらなければできるようにならないという当たり前のことを、よりい週末有機農業塾で伝えていきたい。

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