楽しさの根底にあるものが共有できるか
日曜日はよりい週末有機農業塾。じゃがいも掘り、薩摩芋の植え付け、葱の土寄せ、ミニトマトのソバージュ仕立て紐張りなど、夏に向かっていく畑はやることが盛りだくさん。
ミニトマトはすくすく生長し、青い実をたくさんならせている。葱と茄子はうちの畑より育ちがいい。同じ人間が同じように種をまいて、同じように育て、同じように植えたのに、土が違うと生育がこうも違う。
こういうのを見ると、人間ができることなんてたかが知れているなと思わされるほど、土の力は大きい。野菜づくりだなんて言っても、人間は野菜を作れない。できたもの、取れたものをいただくだけだ。
田畑を体験してもらうというのは、どういうことなのか改めて考えている。自然のなかで働く楽しさとか、収穫の喜びとか、土に触れるとかいったような、あちこちで語られる表現の向こうに、どんな風景が広がっているのか。
毎週日曜日のひとつひとつの作業をパズルの一片にたとえるなら、この農業塾の最終日にできあがる絵がどのようなものになるのか、常に考えていきたい。
たとえそれが言葉で表現しきれなかったとしても、体験を通して楽しさの根底にあるものが共有できれば、田畑はまた少しだけ応えてくれるはずだ。
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