山がネギを生む話
夏葱(新源吾葱)を植え、続けて冬葱(西田葱、石倉一本葱)を植えている。
葱には藁(わら)を食わせろという。この藁には三つの大きな意味がある。
葱を植える溝に敷いた藁は、その下から草が生えるのを抑える。この藁は、少しずつ土に還り、葱に必要な養分となって、葱が健康に育つ土となる。さらに水はけと通気性を良くし、過湿を嫌う葱を助ける。
もっと言えば、ビニールのマルチフィルムのようなゴミを出さず、土に還る過程で土の中の生き物の餌になる、その生き物がさらにほかの生き物の餌となって命を育む。
こうした行為を「畑を作る」という(土を作るではない)。葱を作っているのではない。畑を作ることで葱が育ち、結果としていろんな生き物を育て、さらに土が豊かになり、そこからまた新しい命が生まれる。
百姓は米を作らず田を作る、という言葉があるが、畑も同じだ。おれたちは野菜を作れない。工業製品じゃないのだから、作れるはずがない。野菜は太陽と土と、さまざまな生き物たちと、そして何より野菜自身の力で産み出される。人間が作れると思ったら、それは思い上がりだ。
藁は田んぼで育つ稲が生む。稲は山の豊かな土からにじみ出た水の恵みが田んぼを潤し、生き物を育むことで育つ。
だから、うちの葱には山も育ての親に加わっている。
おれたちは、太陽と山と土に生かされているのだから、もっと謙虚にならなければならない。山を潰してメガソーラーなんて、ありえない話だ。
外から環境保護を叫んでいるのではなく、内側からの眼差しで語りかけている。何でも科学的かどうかで判断される世の中には、内側からの眼差しが欠けているのが残念だ。
人間の生き物としての感覚がどんどん失われてきている。
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