ベテラン農家にはできない農業教室

よりい週末有機農業塾
よりい週末有機農業塾が全国農業新聞の取材を受けることになった。以前、お知らせした埼玉新聞の取材は、いろいろ準備したのに結局、音沙汰なしで終わったが、今回の話は日時も決まった。

取り上げられる事それ自体は、別になんていうことはない。向こうもネタを探している、それにはまったというだけのことだろう。

ただ、野菜の有機栽培を学ぶという触れ込みなのに、毎週日曜日、6人ぽっちの受講生を山やら荒れた竹林やら田んぼやらに連れ回して、
「どうしてそうなのか」
「なぜそう思うのか」
と、むさ苦しいほどに質問を浴びせる場は、小さな町の農業委員会が主催している農業教室としては、全国的に見てもたぶん異色だから、ネタとしてはそれなりにおもしろいだろうし、まだ知らない人に知ってもらえる機会になるのは嬉しい。

変わり者の農業教室ができるのは、いい意味で寄居町農業委員会がおれに丸投げしてくれているからだろう。あれこれ条件や制限を設けず、自由にやらせてもらっている。ありがたいことだ。

自分が必要だ、大切だ、意味があると思えることがあれば、新企画として盛り込んでいる。そんなことをしても、準備などに手間がかかるだけでうちが儲かるわけじゃないが、いつも、これは何のためにやっているのかということを自分に問うている。

民間が営利目的でやる場合は、常に採算性とのにらめっこになる。それなしで内容を考えられるのは、自治体のバックアップがあるからだ。これもまたありがたい。

年間を通して40数回もあるのに、受講料はたったの5,000円(一回あたり100円ちょっと)だから、つまらなかったら途中でやめていく人が間違いなく出るだろう。そういう怖さを常に抱えているのも、前述の「むさ苦しさ」に繋がっている。

ただ、幸いなことに受講生の反応がいい。

察するに、収穫体験のような
「あはは~ 楽しい~」
とは対極にあるおもしろさが少なからず伝わっているのだろう。言うなれば、未知の世界をガイド付きで旅するような、知的好奇心が揺さぶられるおもしろさだ。

それは、農家の生まれではない、農の外からやって来た人間だから案内できる世界でもある。内側にずっといると、それが当たり前になってしまい、見失うものが多々あるが、外の人間には斬新に見える。

椅子に座ってパソコンを叩くことしかできなかった会社員から、農の世界に入ってきて得たり感じたり知ったりしたことを、同じように農と接点のなかった人たちに追体験してもらえたら、きっとおもしろいはずだという感覚もある。

ガイド歴はまだ3年目‍と経験薄弱だが、これからも改良を加えて、この道何十年のベテラン農家にはできない農業教室をやってやるぞ!

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