親しい友人がいることの経済価値は?

有機稲作

●親しい友達がいることの経済的な価値はいくらか?
田んぼでチェーン除草機(動力は脂肪😀)をかけていた。最近できた田んぼ仲間のおばさんが通りがかる。
「昨日まで3日間くらいこの田んぼに鴨が来てたのよ!」
うちの田んぼに鴨が来ていることを嬉しそうに話してくれた。農の眼差しがある人である。

現代農業は収穫量と経済性ばかりを追い求めるから、鴨がいるとその経済価値がどうだとか、鴨がいることで稲(=収穫量、売上)にどんな影響があるかとか、すぐそういう分析に入る。

儲からないとその職業には魅力や存在価値がないと考える「儲かる農業系」の思考である。

チェーン除草機は人間が引っ張るから、視線が田んぼの水面から近く、すい~、すい~と泳ぐように動く細長い生き物を見つけた。水蟷螂(ミズカマキリ)だ。

儲かる農業系からちょっと離れた環境系、オーガニック系、今風に言えばSDGs系は、
鳥類(鴨)は水田生態系の上の方に位置するから、生物多様性の指標として分かりやすいとか、水蟷螂は農薬に弱く、全国的には減少傾向にある、環境指標になるなどと評して終わる。

そこにただ鴨や水蟷螂がいるということや、そのにぎやかさをそのまま受け止めて喜ぶ感覚は、失われてきている。

逆の立場から見てみる。
鴨や水蟷螂から見た人間の経済価値はどのくらいか。農薬と化学肥料を組み合わせた経済効率最優先の大規模耕作は、鴨や水蟷螂の生きる場所や食べ物をどんどん奪っているから、人間の経済価値は極めて低いだろう。

自分も生き物であることを忘れているから、生き物に対する眼差しがないのである。

親しい友達がいることの経済的な価値はいくらか?
家族で過ごす週末の時間の経済価値はどのくらいか?

そんなことは考えないはずだ。
親しい友達がいることや、家族で過ごす時間があること、そのこと自体を純粋に喜んでいるはずなのに、他の生き物との関係や時間は金に換算したがる。

鴨がいたって金にならねえじゃねえか

確かに金にはならない。
でも、親しい友達や家族と過ごす時間も金にならないではないか。むしろ、一緒に何かを食べたり出かけたりして、金を使うことだってある。金銭的にはマイナスだ。

儲かる系や経済効率最優先の考えの行き着くところはそういうことなのに、みな金に邁進するところから逃れられない。地方活性化の歌もこの蟻地獄にずぶずぶハマっている。だから古の風景を潰す乱開発が止まらない。

「儲けよう!」という号令のもと、金と手間をかけて、経済だけでは測れない価値を自ら壊しているのだ。

何のために生きているのか、簡単には答えは出ないが、少なくとも金のためではないということを、常に問い続けていきたい。

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